野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
一場靖弘を偏愛する“ヤクルト芸術家”
「ながさわたかひろ」を知ってるか?
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byYu Terayama
posted2011/03/06 08:00
ながさわたかひろ氏を京橋のギャラリーにて撮影。昨シーズンのヤクルトの全144試合分の銅版がズラリとその周りを囲んでいる
東京ヤクルトの前は野村楽天の“一員”だった!?
「2010年のシーズンから東京ヤクルトに移籍したんです。それまでは楽天の視点で描いていましたが、前作の『プロ野球画報』を描くきっかけとなった野村監督が退任したタイミングで、ひとつの区切りとしたんです」
ながさわ氏は、元々'90年代の野村ヤクルトのファンだったが、出身地の東北に新球団・楽天が誕生したことで楽天ファンとして目覚めたという。
「それと、楽天の球団創設時の寄せ集め感というか、ダメっぷりが、当時の僕とシンクロしたんです。あの頃の僕は、何を描いてもなんとなく違和感があったし、自分でもこんな絵じゃダメだと迷走していました。経済的にも苦しくなるし、もうダメかな……というなかで、楽天の試合を観ると、お立ち台で選手たちが泣いているんですよ。『諦めないで続けて来てよかった』って。そんな時に、ノムさんが楽天の監督に就任しましたからね。僕も野村楽天の一員としてスタートしようと、この世界に本気で取り組もうと決意したんです」
移籍した一場靖弘を追いかけ、神宮の杜に来たものの……。
最初は自身の作品とはまったく関係なかった「プロ野球」という世界は、いつしか色濃く根付いていった。'09年、野村楽天の集大成であるこのシーズンを、「プロ野球画報」という大作で挑み、CSでの野村監督の胴上げというラストシーンで描き切ったながさわ氏だったが、ただひとつだけ心残りがあったという。
「一場です。彼は楽天の選手のなかでも、僕が最もシンパシーを感じる選手でした。ドラフトではああいう形でつまずき、入団して以降も期待を受けながら応えられず……でも、ヤツは人にない“何か”を持っているんです。本来ならば『プロ野球画報』でも核になるはずだった、ヤツのことを僕は描いていない。このままでは画竜点睛を欠いてしまう。そんな気がして、一場のもとへ、ヤクルトへ行かなければ、と思ったんです」
かくして、ながさわは神宮の杜へ。しかし、移籍を決意させた一場は、戸田(二軍球場)だった。
それにもかかわらず、決意は鈍らなかった。楽天時代の「プロ野球画報」に頼らず、開幕の巨人戦で作った新作の「プロ野球カード」3枚を持ってヤクルトの球団事務所にアポなしで飛び込んだ。対応に出た取締役に「こういう作品を1年間作り、選手に毎試合渡したいんです。絵によって選手に思いを届け、絵によってチームの一員になるんです!」と熱意を伝えたが、球団側は当然、あ然、呆然、である。