野ボール横丁BACK NUMBER
球速だけではない「何か」を持つ男。
“小さな大投手”楽天・美馬学。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2011/02/26 08:00
速球派の投手ではあるが、スライダー、カーブ、カットボール、シンカーなど変化球も多彩なものがある美馬。昨秋には広州アジア大会で日本代表に選ばれ銅メダルを獲得している
7年振りの「再会」は、小さな感動があった。
昨年のドラフト会議で、東京ガスの美馬学が楽天から2位指名を受けたときのことだ。
「あっ! あのときの!」と。
高校時代に取材したものの、その後、どこでどうなったかわからぬまま、数年後、ドラフト会議で名前が挙がり、初めてその空白期間のことを知るということがよくある。大学野球や社会人野球は、高校野球やプロ野球に比べると、はるかに情報量が少ない。そのため、こちらがよっぽど関心を持って追いかけるか、ドラフト1位候補にあがるような活躍でもしない限り、あっという間に情報が途絶えてしまう。
美馬も、そんな選手のうちの一人だった。
身長165センチのあどけない少年がプロ野球選手になるとは……。
美馬が甲子園に出場したのは、2003年春、藤代高校(茨城)2年のときだ。
真っ先に思い出すのは、やけに大きく見えた背番号「1」である。というのも、当時の選手名鑑を参考にする限り、美馬の体のサイズは、身長165センチ、体重58キロしかなかった。顔も中学生かと見まがうほどあどけなかった。
ただ、いかにも向こう気の強そうな投手ではあった。当時、藤代の監督を務めていた持丸修一(現・専修大松戸高監督)も、こんな話をしていたものだ。
「美馬の長所は、何といってもあの性格です。とにかく気が強い。2年生でも、先輩のサインに平気で首を振りますからね。カッカくると、どんどん真っ直ぐでいく。でも、それぐらいの気持ちがないと、ピッチャーは大成しませんよ。いつでも冷静というようなピッチャーでは限界がある」
美馬は2回戦で翌年、全国制覇を成し遂げることになる駒大苫小牧(北海道)とぶつかり、2-1で完投勝利を挙げている。もちろん気の強さだけではなかった。制球力もよく、変化球が多彩で、安定感は抜群だった。
駒大苫小牧の監督だった香田誉士史(現・鶴見大コーチ)もこんな風に語っている。
「真っ直ぐは思ったほどではなかったのですが、変化球は一級品だなと思いました。走者二塁でも平気で落ちる球を投げてくる。このあたりは、やはり北海道内の選手とは違いますね」
だが、そうは言っても、右投手で、しかもあのスケールである。その頃は、球速も130キロちょっとしか出ていなかった。だから美馬が将来、プロ野球選手になる姿など、とてもではないが想像できなかった。