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巨人・堀内監督vs清原和博の不仲「球団事務所に乗り込んで…」ガラガラ空席目立つ東京ドーム、「清原コール」でファン造反…堀内巨人の“異常事態”
posted2025/04/27 11:02

2004、05年と巨人を指揮した堀内恒夫監督。清原和博とは不仲説が報じられた
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中溝康隆Yasutaka Nakamizo
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JIJI PRESS
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球団史上初のシーズン80敗、26年ぶりの5位転落、チーム打率.260、防御率4.80はともにリーグ最低――。
これが「2005年の堀内巨人」の戦績である。文字通りの惨敗に、チームを率いた堀内恒夫監督は責任を取り、任期を1年残して、わずか2シーズンで退任する。
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巨人人気の凋落がしきりに囁かれていたのもこの頃だ。2004年、巨人戦の年間平均テレビ視聴率は過去最低の12.2%を記録。2005年の開幕戦もナイターでは過去最低の視聴率13.5%と低迷していた。観客数が実数発表となり、2005年5月10日のオリックス戦の観衆は3万6045人。これは東京ドーム開場以来、巨人主催の公式戦では最少の入場者数でもあった。当時は、その人気低迷の元凶が、堀内監督にあるというような論調の報道も多かったが、あれから20年が経過した今、あらためて「堀内巨人」を振り返るとまた違った側面が見えてくる。果たして、本当に堀内巨人は“暗黒期”だったのだろうか――。
「読売グループ内の人事異動だ」
思えば、始まりから不運だった。2003年秋、原辰徳前監督の電撃辞任により誕生した堀内新監督だったが、就任会見での渡邉恒雄オーナーの「(原監督は)辞任とか解任とかではなく、読売グループ内の人事異動だ」という軽率な発言は、長嶋茂雄から原への監督譲渡の物語を否定したようなもので、多くのファンの反感を買ってしまう。これにより、堀内体制は逆風からのスタートを余儀なくされる。
それでも堀内監督1年目の2004年の巨人は、“史上最強打線”が猛威を振るった。タフィ・ローズ、小久保裕紀、ロベルト・ペタジーニら大型補強で獲得したビッグネームを並べた打線は、開幕から33試合連続本塁打のセ・リーグ記録を樹立。チーム通算259本塁打はプロ野球新記録だった。