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大谷翔平も藤浪晋太郎も“勝てなかった”同い年の天才は何者か?「高校入学直前にアクシデントあった」“中学No.1投手”はなぜプロ野球を諦めたのか―2025上半期 BEST5
text by

中村計Kei Nakamura
photograph byJIJI PRESS
posted2025/04/27 06:01

今春キャンプでの大谷翔平。中学時代、その大谷も藤浪晋太郎も勝てなかった“天才”がいた
「バッターが振り終わってから、やっとミットにボールが届くくらいの感覚だったんです。チェンジアップを投げられるようになって、自分の中でものすごく余裕が持てるようになりましたね」
まさに魔法を手に入れたかのような全能感だった。
高校を選ぶ際、中学硬式野球の日本代表のエースだった横塚は数多の高校から誘いを受けた。関東エリアの主立った強豪校からはほとんどオファーがあったそうだ。
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「聞かなかったのは日大三高と、東海大相模と……。あと、さすがにここではというところは監督が僕に伝える前に止めていると思います。帝京の前田さん(三夫監督)からは直接、3回くらい電話がありましたね」
「どこでも甲子園に行けると思っていた」
有力な中学生が高校を選ぶとき、真っ先に考えるのは甲子園に行けるか否かだろう。だが、横塚の考えは、その上を行っていた。
「これを言ったらみんなに怒られるんですけど、どこでも甲子園に行けると思っていたので。自分が入れば。やっぱり横浜とか帝京に入ったら、絶対に(甲子園に)行けるじゃないですか。5回チャンスがあれば。それはなんかつまんないなというのもあって」
横塚が最終的に選んだのは全国一の激戦区、神奈川の桐蔭学園だった。かつての桐蔭は常に神奈川の優勝候補の一角に上げられる存在だったが、横塚が入学した2010年は長い低迷期に入っていた。甲子園からは7年も遠ざかっていた。
「桐蔭で甲子園に行くためには横浜も倒さないといけないし、(東海大)相模も倒さないといけない。そういうところでやってみたかった」
――その自信もあった、と。
「普通にやれば」
しかし、その第一歩を踏み出す直前、横塚は自分の運命を変えかねないアクシデントに見舞われてしまう。
〈つづく〉
