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大谷翔平も藤浪晋太郎も“勝てなかった”同い年の天才は何者か?「高校入学直前にアクシデントあった」“中学No.1投手”はなぜプロ野球を諦めたのか―2025上半期 BEST5
text by

中村計Kei Nakamura
photograph byJIJI PRESS
posted2025/04/27 06:01

今春キャンプでの大谷翔平。中学時代、その大谷も藤浪晋太郎も勝てなかった“天才”がいた
藤浪晋太郎もいた日本代表…エースに
その頃の横塚の身長は170cmほどと特別に大きいわけではなかったが、140km前後のストレートとキレのあるスライダーは一級品で、コントロールも水準以上だった。この世代において、完成度という点では群を抜いていた。
横塚が大谷の名を気に留めようともしなかったのも無理はない。ボクシングの日本王者が国内の挑戦者の存在など眼中にないのと同じことだった。
横塚の記憶にことさら強く焼き付いていたのは、たわいもないことだった。世田谷西は前年も、同大会まで駒を進めていた。そして開会式のあと、監督が「初戦から強豪だぞ」と選手らに奮起を促してきた。しかし、世田谷西は初戦を16−3で圧勝している。
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横塚が楽しげに思い出す。
「その年(2009年)も、監督が同じようなことを言ってるぞっていう噂が流れてて。でも、前の年のことがあったので、また言ってるよ、という感じだったんです。そうしたら確かに(大谷の)球がめっちゃ速くて。冗談だと思っていたら本当だったということだけはすごく印象に残っているんですよね」
同じ年の8月、国内の中学硬式野球7団体による日本代表チームが結成された。国際野球連盟主催の16U世界選手権に参加するためだった。
この代表チームには後にプロ入りすることになる選手が4人いた。武田健吾(元中日)、中道勝士(元オリックス)、高橋大樹(元広島)、そして藤浪晋太郎(マリナーズ)である。
ただ、ここでも横塚は王だった。
「みんなのこと、別にすごいとは思わなくて」
藤浪も中学時代、140kmを超える速球を投げていたが、横塚を脅かすほどの存在ではなかった。
「あいつ、143(km)投げてましたけど、どこ行くかわかんないので」
あいつ——。この呼び方に当時の力関係が如実に表れていた。