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「何歳までやる、みたいな意地はない」長野五輪あの金メダリスト(49歳)の現在…「スポンサー数は5分の1に減少」でも船木和喜が現役を続ける理由

posted2025/03/04 11:01

 
「何歳までやる、みたいな意地はない」長野五輪あの金メダリスト(49歳)の現在…「スポンサー数は5分の1に減少」でも船木和喜が現役を続ける理由<Number Web> photograph by Wataru Sato

今年4月に50歳の誕生日を迎える船木和喜。現役選手として競技を続ける現在を聞いた

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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Wataru Sato

1998年の長野五輪で2つの金メダルを獲得したスキージャンパー・船木和喜。現役選手として競技を続けながら、アップルパイなどの製造・販売事業を手掛け、競技の普及活動も……。今年50歳を迎える船木和喜の今に迫る――。《NumberWebインタビュー全4回の初回/234に続く》

 2024年12月14日、北海道名寄市の名寄ピヤシリシャンツェで「第55回名寄ピヤシリジャンプ大会兼第62回北海道新聞社杯ジャンプ大会」が行われた。ノルディックスキー・ジャンプの冬季シーズンが本格的に開幕したことを告げる大会の出場者の中に、その名前はあった。

「船木和喜」

 1975年4月27日に生まれ、現在は49歳。もうふた月ほどで50歳の誕生日を迎える。

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 2000年以降に生まれた若い人々は、その活躍をリアルタイムで知ることはないだろう。船木は日本のエースであり、名実ともに世界のトップジャンパーであった。その名前は日本のジャンプの歴史に永遠に刻まれる。

ヨーロッパの観客に「もっとブーイングしろ」

 1998年長野五輪での活躍は、のちに何度も特集番組で映像が流れるほど強烈な印象を残した。大会前から大きな期待が寄せられる中、個人ラージヒルと団体で金メダル、個人ノーマルヒルでは銀メダルを獲得、見事応えたのである。団体では出場4人中4番目、アンカーの重責を担い、全うした。

 長野五輪にとどまらず、1999年の世界選手権ではノーマルヒルで金メダルを獲得。ワールドカップでは通算15勝をあげ、1997-1998シーズンの「ジャンプ週間」では日本初の優勝を果たしている。

 その強さは、船木本人が語る当時のエピソードにも表れている。

「ヨーロッパの大会だと観客は数万人、少ない大会でも1万人は入るじゃないですか。その人数に、一斉にブーイングされるんですよ」

 ヨーロッパの強豪国にとって、スキー・ジャンプは「自分たちのもの」という意識と自負が強い競技だ。非欧州の選手として活躍するジャンパーへのブーイングは、船木の実力を認めていた証でもある。

「それに対して、自分ももっとブーイングしてほしいというか、そういう挑発的な態度をとっていましたね。あれだけの人数がブーイングで声を出すと気温が上がって上昇気流が起きるんですよ。ちょうど自分に風が向いてきて有利になります。歓声が湧く選手ほど距離を伸ばすというのは現実にあるんですね。僕の場合はブーイングだったけれど、『もっとブーイングしろ』って思ってました」

【次ページ】 「何歳までやるんだ、みたいな意地はまったくない」

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