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「オレが元祖AIです。フフフッ、くだらねえか」“AIアントニオ猪木”をどう受け止めるべきか…盟友アナが言った「猪木は心の中に棲んでいるからね」
posted2025/02/24 11:00

ホログラムのアントニオ猪木にAI猪木の声が重なった。2月20日、京王プラザホテル
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原悦生Essei Hara
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Essei Hara
アントニオ猪木をAIにより復活させるプロジェクト「~猪木の夢の続き~『猪木ロイド』」が2月20日に公開された。ホログラム映像と生成AI音声を連動させたもので、この実施は日本初だという。
猪木ゆかりの京王プラザホテルで…
猪木のライセンスを管理する猪木元気工場(IGF)が大学の研究室と進めている企画で、まだ開発途中だが、一部が公開された。IGFの新社長に猪木の弟の猪木啓介さんが就任したことと、猪木とのブラジルでの兄弟物語をつづった『兄 私だけが知るアントニオ猪木』(講談社)の出版を祝う集いの目玉アトラクションでもあった。
会場となった新宿の京王プラザホテル・コンコードボールルームには猪木ゆかりの約350人が詰めかけた。このホテルは猪木にとってなじみの場所で、日本プロレス時代の1971年には猪木と倍賞美津子さんの「1億円結婚式」が行われ、新日本プロレスでは1976年の猪木vs.モハメド・アリのレセプションや、ハルク・ホーガン、アンドレ・ザ・ジャイアントらが名を連ねた1983年の第1回IWGPの前夜祭も華やかに行われた場所だ。
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会場のあちこちから「懐かしいね」という声が聞こえてくる。
啓介さんは77歳になるが「元気工場の社長だから、大変ですよ。元気を発信しないといけないから」と笑顔だった。
ゲストの松浪健四郎(日本体育大学理事長)さんは、会場を見渡して猪木との思い出を語った。
「これだけアントニオ猪木のファンがいるということをうれしく思います。私たちに夢を与えてくれました。元気をくれました。勇気をくれました。最初に知りあったのはアメリカで、猪木さん26歳、私が22歳の時でした。私の左耳がつぶれていてレスラーであることが分かったからでしょう。それ以来、私の弟子たちがお世話になりました。育てていただきました」
松浪さんは猪木が議員になってからも付き合って、北朝鮮のイベントにも同行したが、猪木からの最後の電話で「北朝鮮たのむよ」と言われたことも明かした。