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史上唯一の偉業「18歳が初登板でノーヒットノーラン」26歳で引退した“中日の伝説的ルーキー”近藤真市は今…「昔は何も聞けなかった」元番記者が直撃
posted2025/05/15 11:35

プロ野球史上唯一の偉業「初登板でノーヒットノーラン」を達成した近藤真一(現:真市/当時18歳)
text by

森合正範Masanori Moriai
photograph by
Kazuhito Yamada
「本当に話してくれるのか…」元中日番記者の不安
春の暖かな日差しが注ぐものの、ひときわ風が強い日だった。
岐阜・笠松駅からタクシーに乗ると、隣の編集者が運転手と話し始めた。
「笠松競馬場って近いんですね」
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「はい、駅のすぐ前です。オグリキャップがいたんですよ。早く中央に行っていれば、もっと勝てたのにね」
「そうですよね。クラシック登録していなかったから、出られなかったんですよね」
私はそんな楽しそうな会話に入れる心境ではなかった。前夜からずっと胸がざわざわして、寝付けなかった。
本当に近藤真市は話してくれるのだろうか。
新幹線から名鉄竹鼻・羽島線へと乗り継ぎ、ここまで来たはいいが、取材になるのだろうか。
私が2013年の高木守道政権、14年の谷繁元信兼任監督時代に中日ドラゴンズの番記者を担当したとき、近藤は投手コーチを務めていた。
投手の原稿を書く機会が多くなり、自然と近藤に話を聞きに行くことも増えていった。愛知・享栄高からドラフト1位で入団し、デビュー戦でノーヒットノーランを成し遂げた左腕。近藤を前にすると胸が高鳴った。ナゴヤドームでの試合練習前、バットを片手に投手が集まる外野へと向かう近藤に声をかける。挨拶するだけで、止まってくれない。厳つい強面は無表情のままで遮断するように言った。
「俺に聞くなよ」
2013年はぶっきらぼうな口調で、近づいてくるなというオーラを醸し出していた。
「それは森さんに聞いて!」
翌年は、当時ヘッドコーチを務めていた森繁和の名前を挙げるだけ。文言は変わったものの、何も話すつもりはない。顔にそう書いてあった。私の中で、スター投手から取材をしづらいコーチへと変わっていく。
試合後、投手起用や投球内容について振り返ってくれることはあるものの、核心部分に触れそうになると「じゃあ」と言い残して、愛車に乗り込む。絶対に余計なことは話さない。信念さえ感じさせた。
近藤がきちんと話してくれたと思えたのは、自らスカウトした岩瀬仁紀が最多セーブを成し遂げたときと、高校時代からのライバル、山崎武司が引退するときくらいだった。