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「20キロ走った直後に、もう一度20キロを…」「先輩が田んぼの水を飲んでいた」40年前の早大“箱根駅伝連覇”を生んだド根性「トレーニング秘話」 

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清水岳志

清水岳志Takeshi Shimizu

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posted2025/01/27 11:02

「20キロ走った直後に、もう一度20キロを…」「先輩が田んぼの水を飲んでいた」40年前の早大“箱根駅伝連覇”を生んだド根性「トレーニング秘話」<Number Web> photograph by KYODO

1984年、実に30年ぶりとなる箱根駅伝総合優勝を果たした早大の遠藤司(3年)。その主力はいずれも瀬古利彦に憧れたメンバーたちだった

「瀬古さんも、新宅(雅也・日体大→エスビー食品)さんもスピードがある。そういうランナーがマラソンにいくから強いんだと。中距離選手をピックアップしているんだと思いました」

 当時、早大を卒業してエスビー食品に所属していた瀬古は、神宮外苑の周回コースで練習していた。その瀬古のもとに、坂口、遠藤、田原、金といった面々が、個々でアパートを借りて集っていた。中村に抜擢されたメンバーだ。

 金は2年になって千駄ヶ谷に引っ越した。風呂なしトイレ共同の4畳半アパートだ。

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「(大学の寮がある)東伏見の方が自由時間はありました。終わった後に一杯とかできましたし、千駄ヶ谷は常に緊張感がありましたから。ただ、監督の家の裏にお蕎麦屋さんがあって、カツ丼か親子丼をごちそうになったり、監督が肉の塊を買ってきて、今日は何キロ走ったから、これぐらい食べていい、と肉を切って焼いてくれたこともありました」

 学生ランナーにとって瀬古と会えるのが千駄ヶ谷だった。食事も一緒にできるようになって、ランナーの心得を蓄えていった。

壁に頭を打ち付け…驚かされた中村監督の“奇行”

 入学早々、彼らが驚かされたのが中村の奇行だった。

 遠藤は中村が砂や草を食べた場面を目撃していない。だが、頭を壁に打ちつけるところは見たという。

「なんで私が言ったことをわかってくれないんだ、と。こんなに一生懸命にやってるのに。我慢しきれなくて、自分の頭を打ったんだと思う」

 箱根が近づくと監督の部屋に、目標タイムを書いた紙を貼りだした。

「ある日、書いてある字が小さくて、自信がないから、こんなタイムなんだと怒って、やはり壁に頭を打ちつけ出した。壁が壊れていました」

 中村の訓話はしばしば、長くなった。練習前に1時間ほど、立ったままで話が続き、練習時間にずれ込んだ。座れ、と言われたときは長時間を覚悟したという。

 ただ、瀬古も言っていたように、話の内容が初めて聞くことばかりで、みな聞き入ったという。技術やテクニックを指導された記憶は少なく、精神論が多かった。遠藤がいう。

「仏教、キリスト教でも長く人間社会で受け継がれてきたことには普遍のものがあるはずだ。私のいうことではなくて、イエス・キリストやお釈迦さまの言うことは正しいことだと思う。好きで陸上競技をやっているなら、自分を誤魔化さないでやりなさいと」

 頭ではわかっていても、実行できないのも人間ではある。心の部分、魂に響くことが多かった。スケールの大きい中村監督の話をもっと理解したいなと思うようになっていた。

 天才は有限、努力は無限。

「瀬古はダイヤモンドで磨けば磨くほど光るけど、お前らはまだまだ、石っころみたいなものだ。ダイヤモンドを磨く以上に努力しないと強くなれんだろう」

【次ページ】 衝撃だった夏合宿での「20キロ+20キロ」

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