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“羽生善治とパス交換”元サッカー日本代表FWが「“詰め将棋”でゴールの戦術眼トレ」、渡辺明は4級審判員…一流棋士・選手とも夢中な共通点
posted2024/11/26 06:00
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph by
JIJI PRESS/Yuki Suenaga
将棋とサッカーは共通点が多いという。盤上に並んだ最初の駒の配置を見ると、下段の中央にいる双方の玉(先手は5九、後手は5一)はゴールキーパーを連想させる。攻め駒(飛・角・銀・桂)と守り駒(金・銀)で役割が違うのは、フォワード・ミッドフィルダーとボランチ・ディフェンダーの違いでもある。そして、双方の駒(選手)が入り乱れて戦い、詰み(ゴール)を目指す。
現代の棋士の中にはポジショニングゲームであるサッカー愛好者が多く、サッカー選手や関係者との交流でいろいろなエピソードがあった。筆者のサッカーに関連した思い出も紹介する。【文中敬称略・棋士の肩書は当時】
1964年東京五輪でサッカーを見た記憶
私こと田丸の少年時代は、長嶋茂雄や王貞治に憧れて野球が盛んだった。ただ小学生の高学年の頃は、サッカー好きの先生の影響で、放課後は校庭でサッカーに興じていた。
60年前の1964(昭和39)年10月に東京オリンピックが開催された。私は当時、中学2年生。学校単位で一定の人数に分かれ、各種目の競技場に無料で行くことができた。ただ体操、水泳、陸上、バレーボールなどの人気種目は無理だった。
私たちは渋谷駅から路面電車の玉川線に乗り、駒沢陸上競技場でサッカーを観戦した。現代では考えられないが、当時は決して人気種目ではなかったようで、だから多人数で行けた。対戦国や試合の内容はよく覚えていないが、ヨーロッパ勢同士の対戦だったと思う。グラウンドに近い前の方の席で見たので、かなり迫力があった。
14カ国が参加した東京オリンピックのサッカーで、日本は予選リーグで杉山隆一、川淵三郎らの得点で強豪のアルゼンチンに3ー2で逆転勝ちしたが、決勝トーナメントの準々決勝で敗退した。金メダルはハンガリーが獲得した。
将棋会館にほど近い、国立開催レッズの試合で…
日本のサッカー界は、プロ野球の人気に押されて冬の時代が長年にわたって続いていた。しかし、1993年に「Jリーグ」が発足すると状況は一変し、サッカー人気が沸騰した。東京・千駄ヶ谷の国立競技場には多くのサポーターが集まり、ひいきのチームに熱い声援を送った。千駄ヶ谷の将棋会館に通っていた私は、駅前でそうした熱気をいつも感じていた。
ある日、10代らしき少女が率いるサポーターの一群が千駄ケ谷駅のホームに並んでいた。高揚感はなく試合は負けたようだが、規律正しくて毅然たる様子に見えた。ユニフォームは「浦和レッズ」。レッズはJリーグ創設時から参加したが、3期連続で最下位だった。私は少女らの前向きな姿勢に惹かれ、以後はレッズを応援することにした。