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「(代表選手で)いちばん強い」永瀬貴規の“キャラだけじゃない”柔道界のリアルな評価…素顔は「超努力家」、ウルフアロンに勝った大学時代
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTetsuya Higasikawa/JMPA
posted2024/08/22 17:32
パリ五輪柔道男子81キロ級で金メダルを獲得した永瀬貴規
筑波大学時代にはウルフアロンにも勝利
学生時代から階級を超える強さの片鱗をみせてもいた。筑波大学3年生のとき無差別で行われる全日本選手権に出場。同年の全日本選抜体重別選手権90kg級、100kg級チャンピオンらを倒し、堂々の3位となった。4年生のときには団体戦形式の全日本学生柔道優勝大会決勝の代表戦で100kg級のウルフアロンに勝利、国公立大として初めての優勝に導いている。
代名詞的な決め技を持っているわけではない。だがそれを上回る強さがあった。182cmの身長に比してリーチは189cmと長い。それをいかした間合いの巧みさ、組み手の厳しさを持つ。攻守に隙がない。特に受けは強く、相手をみて柔軟に対応する試合運びにも定評がある。それを「相手の力を吸収してしまうような」と日本代表前監督の井上康生氏は評している。大野に限らず、永瀬に一目置く柔道家は少なくない。
もう1つ永瀬の特徴がある。鈴木監督の言葉を借りる。
「とにかく練習をする、とにかく研究をする、トレーニングもするということで、柔道に関してはまったく妥協しません。『もうやらなくていいよ』『休んだら』っていうぐらいやる選手です」
努力の人であったことが、足跡の中にも見え隠れする。
井上康生「技術も体力も圧倒できる強さがあるが…」
優勝候補と期待されて臨んだ初めてのオリンピック、リオデジャネイロ五輪は敗者復活戦を勝ち上がっての銅メダルだった。目指していた成績に届かなかったこと以上に、準々決勝で敗れるまでの消極的な柔道を悔やんだ。その要因を井上監督(当時)は指摘した。
「本来の力の50%も出せていなかったと思います。技術も体力も十分、圧倒できる強さがありますが、オリンピックは別な要素が必要です」
別の要素とはメンタルだった。
2017年、井上監督に勧められ、欧州に単身で約1カ月の武者修行に出た。サポートしてくれる人もいない中、自ら行動しなければ毎日を過ごせない。「足りないのは自立心だ」と考えての行動だった。そこから吸収した糧は小さくなかった。
内面の充実の模索は別の方面にも向かった。ノンフィクション、フィクション、ジャンルを問わず読書に励んだのだ。コロナにより自粛期間となったときはいっそう熱を入れ、他競技の指導者や選手の著書に目を通し、そこでも吸収するものは大きかった。