ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「歩くのも座るのも難しくなって…」屈強だったマサ斎藤の体を蝕んだパーキンソン病…逝去前日、トレーナーに遺していた“ある言葉”《七回忌》
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by株式会社アンサンヒーロー
posted2024/07/14 11:02
パーキンソン病と闘いながら、懸命なリハビリを続けたマサ斎藤さん
「パーキンソン病は進行性の病なので、体の機能がどんどん落ちていってしまうんです。ですから初めに入所されたころは、一緒にゆっくり走ったりもできたんですけど、だんだん歩くのも難しくなり、リハビリで短い距離を歩くのがやっとの状態でしたね。歩くどころか、ベッドの上に座っているのも難しかったんですよ。座った体勢を保つのが難しくて、ずるずる倒れて横になってしまうような感じでした」
職員を驚かせた「タックルの動き」
パーキンソン病は、体の機能だけでなく気力やモチベーションをも奪っていった。それでも最後まで病に立ち向かい、リハビリに取り組んでいったのは、やはり人生を懸けて取り組んできたプロレス、レスリングへの情熱があったからだった。
「ある日、歩いたりするトレーニングではなく、施設内にマットを敷いて、体格のいい職員を相手に軽くレスリングをしてみましょうということになったんです。そうしたら、立ち上がることも難しく、手すりにつかまりながら歩くのもやっとだったマサさんが、さっとタックルに入って相手の職員の後ろに素早く回ったのにはびっくりしましたね」
病気によって脳からの伝達がうまくいかなくても、レスリングの動きだけは体が覚えていたのだろう。やはりマサさんは根っからのレスラーだ。
マサ斎藤が亡くなる1日前に語っていた“感謝の言葉”
最後の集中リハビリは、2018年の6月29日に入所して1カ月半続くはずだったが、入所から2週間ほど経った7月14日、マサさんは帰らぬ人となった。庭野さんは、亡くなる前の日もリハビリを手伝い、言葉も交わしている。
「マサさんはお部屋に、先輩プロレスラーのヒロ・マツダさんのお写真を飾られていたんですよ。私はプロレスには疎いので、『お父さんの写真ですか?』って聞いちゃったんですけど(笑)。『いや、違う。ヒロ・マツダさんという人で、アメリカですごくお世話になったんだ』と感謝の言葉を述べられていましたね。
マサさんが亡くなられたあと、マサさんが飲むためにお部屋に箱買いで置いてあった『濃いめのカルピス』のペットボトルを、奥様が職員たちに『飲んでください』って渡してくださったんですよ。私もいただいたんですけど、これを飲んでしまったらすべて終わってしまうような気がして、1カ月半くらい自分のデスクの上に置いていました。私にとって『濃いめのカルピス』は、今でもマサさんの思い出の味です」
「Go for broke(当たって砕けろ)」
マサさんは最後の最後まで、(当時)2年後に迫っていた東京2020オリンピック・パラリンピックに何らかの形で関わることと、再びリングに上がることを目指してリハビリに取り組んでいた。
奥様の倫子さんはこう語る。
「長い闘病生活の中で、マサさんが弱音というか自らの境遇へのやるせなさを吐いたのはほんの一度だけ。難病を宣告されまもなく、祖先のお墓参りに行った夜、天井を見つめながら独り言のようにぽつりと『なんで、僕だけがこんな目に遭わなければならないのだろう?』と言ったことがあっただけでした。以来、最後の最後まで一度たりとも弱音も苦情も吐かずに、前だけを見ていました。最後まで『Go for broke !(当たって砕けろ!』を信じ、貫きました」
マサ斎藤は最後の最後までプロレスラーであり、信条である「Go for broke !」を貫いた人生だったとあらためて思う。