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ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
アントニオ猪木vs“熊殺し”ウィリーの異種格闘技戦は“大乱闘寸前”の決闘に…舞台裏では「反則負けでいいから、腕でもヘシ折ってやれ!」
posted2022/10/03 17:01
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
AFLO
10月1日に逝去した名レスラー、アントニオ猪木。1970年代、新日本プロレスと空手の極真会館の“二大勢力”によって牽引された格闘技ブームは、猪木出場の“ある試合”によってフィナーレを迎えた。『闘魂と王道 昭和プロレスの16年戦争』(ワニブックス刊)より、「1980 昭和格闘技ブームのクライマックス 殺気に満ちた猪木vs熊殺しウィリー」の章を抜粋して掲載する。“最強”同士が激突した一戦は、いかにして実現したのか――。《全2回の前編/後編につづく》
2000年代、日本で格闘技ブームが巻き起こった。K-1やPRIDEが人気を博し、大晦日には紅白の向こうを張って、民放テレビ局がこぞって格闘技番組を放送していた。しかし70年代後半、それよりも遥かに殺気に満ちた格闘技ブームがあったことを、昭和のプロレスファンなら覚えていることだろう。
その70年代格闘技ブームの牽引したのが、“燃える闘魂”アントニオ猪木率いる新日本プロレスと、“ゴッドハンド”大山倍達館長を頂点とする空手の極真会館。
当時、猪木は柔道金メダリストのウィリエム・ルスカ戦を皮切りに、さまざまなジャンルの格闘家と異種格闘技戦を行い、「プロレスこそ最強」を標榜。一方、極真は梶原一騎原作の劇画『空手バカ一代』で人気に火が付き、ドキュメンタリー映画『地上最強のカラテ』で、その強さの幻想が巨大化した。
そんな、ともに“最強”のイメージをまとう2大勢力が、ついに雌雄を決する格闘技ブームのフィナーレとも言うべき大一番。それが80年2月27日、蔵前国技館で行われたアントニオ猪木vsウィリー・ウィリアムスの一戦だった。