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大谷翔平のライバルだった“青森の天才”とは何者か? 2人の対決を見た関係者「大坂君の方が有名だった」「決勝で2人ともホームラン」あの怪物は今

posted2024/06/29 11:01

 
大谷翔平のライバルだった“青森の天才”とは何者か? 2人の対決を見た関係者「大坂君の方が有名だった」「決勝で2人ともホームラン」あの怪物は今<Number Web> photograph by Tomoya Osako

「大谷が衝撃を受けた怪物」大坂智哉の中学野球部時代

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中村計

中村計Kei Nakamura

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Tomoya Osako

 今年、30歳を迎える大谷翔平世代、いわゆる1994年度生まれの代。振り返れば小・中、高校時代には“大谷以上の怪物”といって差し支えなかった男たちがいた。大谷世代の“天才たち”の人生と、愛憎混じる野球への思い――「大谷が衝撃を受けた男」大坂智哉の証言。【全4回の2回目/1・3・4回も公開中】

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 水沢パイレーツのシャツは緑色で、袖の部分だけがオレンジ色だった。にんじんを思わせる独特の配色に身を包んだチームの中に頭一つ抜けている選手がいた。それが大谷翔平だった。

大谷もいた東北大会「ナンバー1投手は大坂君」

 福島リトルの監督を務めていた佐藤英明(現・総監督)もその試合まで大谷の名前を聞いたことがなかったという。

「当時はそこまで遠征が盛んではなかったし、今ほど情報も飛び交っていませんでしたから」

 だが、そんな佐藤でも岩手よりもさらに遠い地、八戸市でプレーする選手の名前は聞いたことがあった。佐藤は私が大坂智哉の名前を口にする前にこう言った。

「左投手で大坂君という子がいたんですよ。彼の名前は以前にちらっと聞いたことはありました。青森のチームだったんですけど、今大会のナンバー1投手は大坂君だろう、と言われていました」

「ベンチがざわざわ」中1夏、大谷の伝説

 福島リトルは、大谷の情報をまったく持たぬまま試合に臨んだ。そしてブルペンで投球する大谷のボールを見て、目を見開かされることになる。佐藤が言う。

「うちのエースも117キロくらい出ていたんです。でも、それよりも明らかに速かったですから」

 リトルリーグのグラウンドの大きさは、一般男子のソフトボールとほぼ同じだ。ピッチャーズプレートから本塁までの距離は14.03メートルしかない。通常の規格だと、その約1.3倍の18.44メートルある。したがって理論上、リトルにおけるボールの体感速度は通常の距離の約1.3倍にもなるという。

 佐藤の証言から推量するに当時の大谷は120キロ以上出ていたと思われる。となると打席での体感速度は150キロ以上にもなる。

 福島リトルの「四番・エース」で、やはり大谷世代の笹川裕二郎の記憶もそれを裏付ける。

【次ページ】 17奪三振を見た大坂「なぜ驚かなかったのか」

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