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大谷翔平のライバルだった“青森の天才”とは何者か? 2人の対決を見た関係者「大坂君の方が有名だった」「決勝で2人ともホームラン」あの怪物は今
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byTomoya Osako
posted2024/06/29 11:01
「大谷が衝撃を受けた怪物」大坂智哉の中学野球部時代
「指を離れた瞬間、そのまま届くっていう感覚です。ストレートが速過ぎて、まず見えない。その上、今でいうスイーパーみたいなスライダーも投げていたので。私は左打ちだったのですが、最初の打席、変化球を空振りしたら、ボールが足に当たったんですよ。それぐらい内側に食い込んできた。もう、何とかしようにも何ともできなかったという……」
福島リトルも打線には自信を持っていた。ストレートは何とかバットに当たるのだが、そこにスライダーを混ぜられるともはやお手上げだった。福島リトルは1回から3回まで全員が三振だった。つまり、9者連続三振である。佐藤の回想だ。
「ベンチはずっとざわざわしているような感じですよね。4割、5割くらい打ってる子が、簡単に三振してしまうわけですから。いちばん厄介だったのはスライダーです。選手たちは『見えない』って言ってましたね」
リトルリーグの試合は6回までだ。大谷はこの試合、18個のアウトのうち、じつに17個までを三振で奪ったのだった。
17奪三振を見た大坂「なぜ驚かなかったのか」
リトルリーグの試合会場はホームベースから61メートルの距離のところに外野フェンスを設ける。次に試合を控えていた大坂は、フェンスの向こう側でアップをしながら、この快投を遠目に眺めていた。
ところが、大坂はさほど驚いてもいなかったという。
「青森に1人、すごい速いピッチャーがいたんです」
大坂が言う「1人」は、大坂を「バケモン」と表現した青森山田リトルの本間康暉だった。大坂にとっての本間もそれに近い感覚があった。
なにせ、当時やはり中1だった本間は身長は173、4cmで、体重は70kgを超えていた。細身な大谷より肉付きがよく、しかもさらに大きかったのだ。
本間はストレート一本槍だったが、球速だけなら大谷と遜色はなかった。登板すれば大抵、10個以上の三振を積み上げた。大坂はその本間からホームランを打っていた。その自信が大坂の小さな世界を支えていた。