野ボール横丁BACK NUMBER
大谷翔平のライバルだった“青森の天才”とは何者か? 2人の対決を見た関係者「大坂君の方が有名だった」「決勝で2人ともホームラン」あの怪物は今
posted2024/06/29 11:01
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Tomoya Osako
◆◆◆
水沢パイレーツのシャツは緑色で、袖の部分だけがオレンジ色だった。にんじんを思わせる独特の配色に身を包んだチームの中に頭一つ抜けている選手がいた。それが大谷翔平だった。
大谷もいた東北大会「ナンバー1投手は大坂君」
福島リトルの監督を務めていた佐藤英明(現・総監督)もその試合まで大谷の名前を聞いたことがなかったという。
「当時はそこまで遠征が盛んではなかったし、今ほど情報も飛び交っていませんでしたから」
だが、そんな佐藤でも岩手よりもさらに遠い地、八戸市でプレーする選手の名前は聞いたことがあった。佐藤は私が大坂智哉の名前を口にする前にこう言った。
「左投手で大坂君という子がいたんですよ。彼の名前は以前にちらっと聞いたことはありました。青森のチームだったんですけど、今大会のナンバー1投手は大坂君だろう、と言われていました」
「ベンチがざわざわ」中1夏、大谷の伝説
福島リトルは、大谷の情報をまったく持たぬまま試合に臨んだ。そしてブルペンで投球する大谷のボールを見て、目を見開かされることになる。佐藤が言う。
「うちのエースも117キロくらい出ていたんです。でも、それよりも明らかに速かったですから」
リトルリーグのグラウンドの大きさは、一般男子のソフトボールとほぼ同じだ。ピッチャーズプレートから本塁までの距離は14.03メートルしかない。通常の規格だと、その約1.3倍の18.44メートルある。したがって理論上、リトルにおけるボールの体感速度は通常の距離の約1.3倍にもなるという。
佐藤の証言から推量するに当時の大谷は120キロ以上出ていたと思われる。となると打席での体感速度は150キロ以上にもなる。
福島リトルの「四番・エース」で、やはり大谷世代の笹川裕二郎の記憶もそれを裏付ける。