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「オレは何をしていたんだ…」大谷翔平が認めた天才は、なぜ大谷に負けたのか? 本人が告白する“決定的な差”「中学時代に運命が変わった」
posted2024/06/29 11:02
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
JIJI PRESS
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私は今、東北エリアの大谷翔平と同世代の選手や元選手たちの間を訪ね歩いているのだが、青森山田時代の大坂智哉について尋ねても、大抵、首をひねられた。記憶にないというのだ。そして、京田陽太(DeNA)のことなら覚えていると続けた。当時の青森山田と言えば、誰よりもまず大型ショートとして名を馳せていた京田だった。
中学は軟式、高校は青森山田…大坂の選択
中1の夏までは体格に秀でていた大坂だが、そこからはさほど大きくならなかった。身長の伸びは緩やかになり、高校入学時は172センチだった。また、高校に入ってからは厳しい練習のせいでわずか3カ月で体重は10キロも減り、68キロまで落ちてしまったという。
高校でチームメイトになった本間康暉も久々に見た大坂にやや拍子抜けしてしまった。
「ピッチャーをやったら打たれるし、あんだけバッティングもすごかったのに打てないことも多くて。リトルのとき、あんなにすごかったのに『あれ?』っていう感じでしたね」
中学はシニア、高校は花巻東…大谷の選択
一方の大谷は水沢パイレーツを退団したあと、一関シニアを経て、花巻東に入学した。中学3年生のとき、菊池雄星を擁する同校が春は準優勝、夏はベスト4と甲子園で躍進し、その姿に同県人として憧れを抱いたのだ。
忘れもしないセリフがある。高校3年の冬、私が菊池にインタビューしたときのことだ。あらかた話が終わり、雑談モードになったところで菊池が「今度、僕よりすごい1年生が入ってくるらしいですよ」と言ったのだ。
この手の話はよくある。おそらくは毎年、全国で何十人、いや何百人もの「すごい1年生」が高校に入学し、時間の経過とともに「その他」の中に埋もれていく。なので、私は菊池の言葉を真に受けていなかった。しかし、後になって気づかされたのだが、その「すごい1年生」こそが大谷だったのだ。