NumberPREMIER ExBACK NUMBER
長谷部誠(40歳)が明かした26歳の日本代表キャプテン就任秘話…本田圭佑のファッションにツッコミ!「おまえ、そのバッグはねえだろ」
posted2024/06/21 11:00
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph by
Takuya Sugiyama
【初出:発売中のNumber1098号[引退記念ロングインタビュー]長谷部誠「信頼に応えるため、自分の形を変えてきた」より】
なぜ唯一無二のキャプテンになれたのか?
心と身体を極限まで研ぎ澄ませた先に待っていたのは、日本とドイツ、両国の人たちから、そのキャプテンシーとプロフェッショナリズムを祝福されるという、日本人選手が到達したことがない景色だった。
2024年5月18日、フランクフルト対RBライプツィヒ戦のラスト3分、長谷部誠はボランチとしてピッチに立ち、22年間のプロサッカー選手としてのキャリアを完結させた。
通常、引退後にあるのはマラソンを走り抜いたあとのように、精神的にも肉体的にも消耗した姿だ。「お疲れ様でした」と声をかけるのが一般的だろう。
だが、長谷部にはそれが当てはまらないように思う。不純物を取り除くために己を叩き、鍛錬を繰り返す――40歳の最後まで輝いた姿は、日本刀の名刀をつくりあげる工程を連想させる。「見事でした」という言葉がふさわしい。
なぜ長谷部は国を超えた唯一無二のキャプテンになれたのだろう?
引退会見から3日後の5月27日、文藝春秋社内で約2時間にわたって話を聞いた。
――まずは時計の針を'10年5月に巻き戻させてください。日本代表の岡田武史監督は不調に陥ったチームをテコ入れするために、26歳の長谷部誠をゲームキャプテンに抜擢しました。当時、何に一番エネルギーを使いましたか。
「まずは先輩との関係ですね。それまでキャプテンを務めてきた中澤佑二さんとは直接話をして思いを伝えましたし、すごく助けてもらいましたが、(田中マルクス)闘莉王さんみたいな自己主張が強い先輩たちがいたんで(笑)。川口能活さんがチームキャプテンとしてまとめてくれていたので、僕はとにかく出過ぎないようにしていた。試合のときにキャプテンマークをつけるだけくらいの感覚が、一番チームがうまくいくと考えていました」
――闘莉王さんは「ハセがキャプテンなんて絶対認めねぇからな!」と言っていたそうですね。
「その言葉を直接聞いたわけではないですが、先輩たちが認めていなかったのは雰囲気でわかりましたよね。自分はそういう空気を感じ取れる人間なんで。あの頃は日本特有の上下関係がまだ代表に残っていた。たとえばマッサージを受ける順番を書く紙が、食事会場のテーブルに置いてあるんですね。年上の選手たちがまずは名前を書き、ある程度書き終わったのを見計らって僕のような若い選手が空いているところに書いていた。だから余計に気を遣いました」
「僕は誰ともつるむタイプじゃない」
――「あえて何もしない」がキャプテンとしてのスタートだったんですね。