巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER
巨人・落合博満が絶賛「オレが出会った最高の外国人選手」…42歳落合“まさかの小指骨折”、医者NGのピンチを救った「超一流の打撃投手」の名前
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中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2024/05/26 11:00
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1996年の日本シリーズ。鬼の形相でボールにくらいつく落合博満(42歳)
午前中から打撃練習を開始して、チームの全体練習を終えた午後にも同じ数だけバットを振った。そのすべてのボールをひたすら投げ続けたのは、打撃投手の岡部憲章だ。阪神で現役引退後、東海大相模高の同級生・原辰徳の誘いで、巨人の打撃投手をすることになったあの岡部である。1994年7月中旬、球団から「落合担当になってほしい」と打診があって以来、背番号114は巨人時代の落合の欠かせない相棒だった。
イチロー23歳「落合さんはすごいスよ」
オレ流が「『超』のつく一流まで腕を磨き上げたプロ中のプロの打撃投手」と絶大な信頼を寄せる岡部の協力もあり、落合は長嶋監督の要望通り、本拠地での日本シリーズ初戦に「4番一塁」としてスタメン出場を果たす。故障箇所への衝撃を少しでも和らげようと、いつものように素手ではなく、左手には黒い革手袋をして打席に入る背番号6の姿があった。
4番落合は、初回の第1打席で星野伸之からセンター前へ先制のタイムリー。4打席目と5打席目も安打を放ち、いきなり猛打賞の復活劇を見せる。試合は3対3の同点で迎えた延長10回、イチローが河野博文から決勝アーチを叩きこみオリックスが先勝するが、その3年連続MVPの背番号51ですら、自分より20歳上の打撃職人の技術に感嘆した。
「何かで“ヒットだけならばいつでも打てる”というのを読んだことがあるけれど、それもわかるなって感じ。ホレボレするような技術がありますネ。特に、8回の鈴木(平)さんから打ったライト前安打なんて、これがバッティングってお手本でしたもの。すごいスよ」(Number405号)
イチローと松井秀喜という平成の新世代スター同士の顔合わせは「ドリームシリーズ」と話題を集め、第1戦が行われた東京ドームには4万5121人の大観衆が集結。ドーム開場以来最多の2000人の徹夜組が並んだ。日本中が注目した大一番のCMは1分間3000万円にまで跳ね上がり、関東地区で43.1%のテレビ視聴率を記録する。
当日、日本テレビのゲスト解説に呼ばれたのが、西武の清原和博だった。子どもの頃、祖父の膝の上に座って見たテレビの中の巨人戦。王貞治がホームランを打つと、決まって「和博、日本一の男になれ」と大好きな祖父は笑った。少年時代の輝ける記憶は、ときに男の人生を決める。あの頃、憧れた夢の舞台は、すぐそこにあるかのように思われた。去就が注目される中、清原はこの8日後、ついにFA宣言をするのである。
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「高校時代のほうがよかったな」巨人FA移籍「落合vs清原」騒動……42歳落合博満は29歳清原和博のFA移籍騒動に巻き込まれていく。
<続く>
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