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あの江夏豊が絶賛「最後の300勝投手」鈴木啓示とは何者だったのか?「バケモンかいな」低迷の3年を経て…怪物の逆襲がはじまった日

posted2024/05/26 06:00

 
あの江夏豊が絶賛「最後の300勝投手」鈴木啓示とは何者だったのか?「バケモンかいな」低迷の3年を経て…怪物の逆襲がはじまった日<Number Web> photograph by KYODO

「最後の300勝投手」鈴木啓示とは何者だったのか?

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太田俊明

太田俊明Toshiaki Ota

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球史に残る大投手の生涯ベストシーズンの成績を比較して、日本プロ野球史上No.1投手を探る旅。沢村栄治、江夏豊、江川卓、山本由伸らに続く第16回は、「最後の300勝投手」鈴木啓示(近鉄)だ。

「成績文句なし」も沢村賞なぜ獲れず?

 鈴木啓示は“記録に残る大投手”である。通算317勝は史上4位。通算奪三振3061個も史上4位。通算被本塁打560本と通算無四球試合78試合はともに日本記録。6年連続最多奪三振も江夏豊と並ぶ日本記録。最多奪三振8回はパ・リーグ記録である。

 そんな「記録男」の鈴木だが、その年の最高の先発型投手に贈られる「沢村賞」に限っては、一度も手にしていない。沢村賞は、1988年まで選考対象がセ・リーグの投手に限られていたため、1966年から85年にかけて近鉄一筋で活躍した鈴木は対象外だったのだ。

 筆者の検証では、仮にパ・リーグの投手も沢村賞の対象だった場合、鈴木は1969年、77年、78年と、3度受賞していた可能性が高い。そのとおり受賞していれば、杉下茂(中日)、金田正一(国鉄他)、村山実(阪神)、斎藤雅樹(巨人)、山本由伸(オリックス)と並ぶ史上最多受賞である。

 実際、1969年の沢村賞は高橋一三(巨人)で、この年の鈴木は沢村賞選考項目である登板数、完投数、勝利数、勝率、投球回、奪三振、防御率の7項目中、勝率と防御率を除く5項目で高橋を上回っている。

 1977年の沢村賞・小林繁(巨人)との比較でも7項目中4項目で上回り、78年の松岡弘(ヤクルト)に対しても7項目中6項目で勝っている。また、77年、78年と連続してパ・リーグのMVPを受賞した同リーグのライバル山田久志(阪急)と比較しても、この2年とも鈴木が勝ち越している。

「バケモンかいな」鈴木啓示とは何者か? 

 鈴木は兵庫県の出身。育英高校(兵庫)時代は、1年下で近隣にある大阪学院大高のエースだった江夏豊に大きな影響を与えたことで知られる。

【次ページ】 江夏と同時代に活躍…「2人の違い」

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