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巨人・落合博満が絶賛「オレが出会った最高の外国人選手」…42歳落合“まさかの小指骨折”、医者NGのピンチを救った「超一流の打撃投手」の名前 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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photograph bySankei Shimbun

posted2024/05/26 11:00

巨人・落合博満が絶賛「オレが出会った最高の外国人選手」…42歳落合“まさかの小指骨折”、医者NGのピンチを救った「超一流の打撃投手」の名前<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1996年の日本シリーズ。鬼の形相でボールにくらいつく落合博満(42歳)

 落合も自著で「私の現役時代に出会った最高の外国人選手と言っても過言ではない。とにかく野球に対して真面目。試合でも練習でもよく悩んでいたが、その悩みのレベルも高く、悩みを解消するのも早かった」(野球人/ベースボール・マガジン社)と絶賛した元メジャーリーガーのマックである。ツインズでは4番も打っていたが、日本野球に適応しようと試合後のスイングルームに落合を呼んで、自分のフォームをチェックしてもらう貪欲さを持っていた。

 9月18日には広島と同率首位で並び、24日に東京ドームで広島との直接対決を制すと残り6試合で初の優勝マジック5が点灯。一度は消えたが、10月1、2日のヤクルト戦で斎藤雅樹、槙原寛己が連続完封でついにV王手。メークドラマのフィナーレは129試合目に訪れる。10月6日、中日に5対2で勝利すると名古屋の夜空に長嶋監督は7回宙を舞った。そして、「必ず優勝するから、治療に専念して日本シリーズには間に合わせてくれ」と長嶋監督から言われていた落合は、ここからシリーズでの復帰に向けて人知れず始動する。

医者はNGなのに…「3000球は打ち込んだ」

「私の骨折は順調に回復していたが、骨がくっついたからといって、すぐにプレーができるわけではない。ここから体をつくり直し、バットを振れる状態にして初めて試合に復帰できるのだ。ところが、日本シリーズ開始の10日前になっても、骨は完全にくっつかなかった。私には、もう本当に時間がなかった。そこで、医者の制止を振り切って練習を始めることにした」(コーチング 言葉と信念の魔術/落合博満/ダイヤモンド社)

 オリックスとの日本シリーズの初戦は10月19日。逆算していつから打撃練習を始めなければならないかを考えた落合は、約1週間前からバットを振ることを決意する。時間が足りないのは自覚していたが、長嶋監督と約束したからには絶対に間に合わせてみせる。仮に強行出場したことにより、つぶれたとしても来年のキャンプまでに治せばいい。落合にとって長嶋茂雄とはそういう存在だった。

「そこで、私は何を考えたか。1日で2日分の練習をして間に合わせることにしたのである。シリーズまでの数日間、私は昼夜兼行でひたすらバットを振った。およそ3000球は打ち込んだだろうか」(プロフェッショナル/落合博満/ベースボール・マガジン社)

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