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「ブレイキンで人生が豊かになる人を増やすために」パリ2024新競技で注目のBボーイ・Shigekix22歳が抱く大志「みんなの想像を超える存在になりたい」
posted2024/06/19 10:00
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph by
Kiichi Matsumoto
あの頃、一日の仕事を終えて家路につくオフィスワーカーたちは、大人に混じってくるくると踊る少年の姿を見て何を思っただろうか。彼がそのダンスの世界で頂点を極め、さらに日の丸と金メダルの期待を背負ってオリンピックのフロアに立つなんて想像できただろうか。
JR難波駅の近くにあるOCAT(大阪シティエアターミナル)のポンテ広場。大阪のストリートダンスの聖地と言われるスポットがShigekix(本名:半井重幸)の原点だ。フリースタイルのダンスを習っていた7歳の時、いまもBガールとして活躍する姉AYANEの影響でポンテ広場に足を運び、ブレイキンという新しい世界に出会った。
はじめはそこで踊る大人たちの動きに圧倒され、父親に借りたタオルを頭に巻いて見よう見まねで恐る恐る。やがて遊ぶような感覚で一つずつブレイキンの動きを身につけていった。
同世代の子どもたちが興味を持ちそうなマンガやアニメには一切触れることなく、吹き抜けになった広場のコンクリートの上で来る日も来る日も腕を磨いた。
「最初は基礎の動きからできるようになっていって、技を習得する喜びや難しいことにチャレンジするのが楽しかったんです。その延長線上でどんどん世界が広がっていった。気づいたら大会に出られるレベルになって、戦えるレベルになって、その繰り返しで気づいたらここまで来た感覚です」
海外留学経験のあった母からは「世界に目を向けてほしい。世界的な視野で物事を見てほしい」といつも言われていた。ブレイキンに出会う前の幼稚園から始め、中学まで続けた英会話もそんな教育方針の一環だったのだろう。
9歳の頃にはラスベガスに初めての海外遠征を経験した。不安よりもワクワクの方が大きかった。空港に並んだスロットマシーンを見て、ついに世界にきたのだと感じた。その後も中国などでイベントに参加し、小学生のうちから活躍の場とその視野を広げていく。
16歳、ユースオリンピックでの挫折
2017年、15歳の時にはアムステルダムで行なわれた世界最高峰のソロバトルイベント「Red Bull BC One World Final」に史上最年少出場を果たし、しかもベスト4まで進出した。
翌年にはユースオリンピックで初めてブレイキンが採用され、日本代表として出場することになった。国内、アジア、世界ユースと各大会で連勝を重ねていたShigekixへの期待値は当然のように高まっていた。ところが、表彰台で手にしたのは銅メダル。
「プレッシャーをエネルギーに変換する方法がわからなくて、プレッシャーが迫ってくる中でも今まで通り過ごすことしかできなかったんです。それでかえって大会当日に自分らしさを失ってしまった。特別な準備ができなかったから当日あがいてしまって、自分のパフォーマンスが発揮できませんでした」
16歳での挫折は少年を大人へと変えていった。高校卒業後には新しい環境での刺激を求めて、拠点を神奈川県川崎市に変更。2020年には「BC One」で史上最年少優勝の記録を打ち立て、これまで世界的なBボーイを数多く生み出してきた日本のシーンにおいても指折りの存在となった。
その歩みの根源にはまっすぐで大きな意志がある。
「自分と同じようにブレイキンと出会って、ブレイキンを通じて人生が豊かになる。そういう人を一人でも増やしたい。だからダンサーとしての可能性を今までにないぐらい広げていかないといけないと思っています。そうすれば、その姿を見る人の数も増えて影響力も大きくなる。誰もが想像したり見てきたようなダンサーを超える存在になりたいんです」