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「もしメダリストになっていなかったらどんな人生だったか…」日本男子卓球界の歴史を変えた水谷隼が振り返るオリンピックで勝つことの意味
posted2024/06/05 10:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Kiichi Matsumoto / Getty Images
4年に一度の大舞台で日本初のシングルスでのメダルを獲得。さらにはやはり日本初の金メダル――卓球界にあって、新たな歴史を築き、日本の未来を切り拓いてきた。まさに時代を変えたのが水谷隼である。
その最初となったのはリオ2016でのシングルス銅メダルだった。
水谷にとって3度目の大舞台だった。リオ2016の前回大会、ロンドン2012ではメダルを期待されながら4回戦敗退に終わっていた。
すでに世界でも上位の力はつけていた。なのにどうして勝てないのか、考えた。考えた末に行動を起こした。単身、ロシアに向かい、同国卓球リーグのチームに加入したのだ。
「当時日本にはプロリーグはなかったですし、日本代表の強化もほとんどなかった。代表合宿はあっても選手に任せきりで何かこうしようというのもありませんでした」
もっと強化のための環境があれば強くなれると思っての決断だった。
「スポンサーも卓球メーカー以外はゼロにして一からやり直そうっていう気持ちで行きました」
おぜん立てしてくれる人がいたわけではない。だから飛行機やホテルの手配を含め、自ら行なわざるを得なかった。
それとともに、日本男子では初めてプライベートコーチと契約したが、コーチの宿泊代や遠征費などもかかってくる。
「負担はたしかに大きかったです」
それでも行動した根本には、自分自身に対する信念があった。
「自分の可能性は疑わなかったです。自分はもっともっと強くなるべき選手だし、なれるっていう自信がありました」
「屈辱的」メダルのあるなしによる境遇の違い
加えて、悔しさがあった。悔しさには勝てないことだけではない、さまざまな思いがあった。
水谷はロンドン2012から帰国した日のことをはっきり覚えている。
「飛行機を降りて、男子が最初に到着口を出たんですね。いっぱい人はいるのだけれど、反応はないんですよ。でも、そのあと女子が出てくると『わー』って歓声が起こりました」
ロンドン2012では女子が団体戦で3位となり、日本卓球界初のメダルを手にしたことで、脚光を浴びていた。
「その後、記者会見みたいなのもやりました。それも男子が最初でしたが、お通夜状態なんですよ。『ロンドンでプレーしてみてどうですか』『悔しいです』くらいのやりとりで僕らははけて、女子が入ってくるとまた『わー』みたいな感じで。横でずっと見ていたから悔しかったし、屈辱的に感じました」
メダルのあるなしによる境遇の違いを身に染みて感じたことが原点にあった。