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ロッテの元ドラ1位右腕・大嶺祐太のいま…イタリア旅行で「アパレルへの興味が増して…」立ち上げたブランドの“右肘デザイン”に込めた願い
text by
梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph byChiba Lotte Marines
posted2024/05/23 11:01
度重なる怪我に泣かされながらも奮闘し続けた大嶺祐太
肩書は代表取締役。経営者としても忙しい日々を送っており、解説のため訪れた沖縄でも午前中に商談を3つほどこなしてから球場入りしたのだという。
「本当に充実していますね。野球選手だったら絶対に出会えない人と会える。そういう人たちとのつながりが楽しい。多種多様な職種の人。飲食の仕事をしていなかったら出会えなかった。そういう人たちと話をするのは本当に勉強になるし楽しい」
「電車に乗るのが怖い」18歳の頃
18歳でプロ入りした当時、大嶺さんは「電車に乗るのが怖い」と話していた。「時々、海が恋しくなるのです」。そう言って、時間があれば海を眺めにいっていた若者が今、第二の人生に力強く一歩を踏み出している。店にはマリーンズファンや、野球を愛する人たちがたくさん訪れるという。そんなお客さんと交流し、ぶらりとお店に入ってきた一期一会の出会いを大切にしているのだ、と言う。
現役時代に、大嶺さんから沖縄のエピソードを聞いたこともあった。ちょうどケガなどで苦しんでいる時期だった。
「爬竜舟」に人生を重ねて
「沖縄には海の安全や豊漁を祈願する船の競争があって、これに参加する船のことを爬竜舟(はりゅうせん)と言うんです」
そして続けた。
「でも、この競争を見に来てくれるお客さんが一番沸くのは、船が転覆して、それを必死に起き上がらせてまた漕ぎ出す、そういう場面なんですよ。人生も一緒。ボクも一緒。失敗しても、苦しく辛い日々が続いても、また起き上がって立ち向かう。そういう姿をファンの方には見てもらいたいと思っています」
プロ通算129試合に登板し29勝35敗。多くの注目を集めて入団した右腕にとってプロ野球人生は怪我との闘いでもあり、決して順風満帆な日々ではなかった。ただ、どんな時も起き上がって立ち向かい、闘う男の姿がファンを魅了した。その姿は今も同じ。フィールドを変えても、準備を大事にしながらアグレッシブな毎日を送っている。そこには「Recuperar」を果たした男の姿がある。