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イチローが憧れ、落合博満が「天才」と評した悲運の名打者…打率3割11回、アキレス腱断裂で「ワシはもう終わった」前田智徳、天才の苦悩
posted2024/05/23 06:00
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Koji Asakura
22歳の前田が語っていた「自分への期待感」
<証言1>
配球を読んで打つというのが好きになれない。
(前田智徳/『Number』322号 1993年8月20日発売)
◇解説◇
1989年ドラフト4位で熊本工から広島カープに入団した前田。1年目春の時点で山本浩二監督と二軍打撃コーチの内田順三をして「技術的に教えることは何もない」と言わしめるほどその打撃は完成されていた。3年目の1992年には130試合に出場し、打率.308を記録。以降、ゴールデングラブ賞とベストナインの常連となり、セ・リーグを代表する走攻守揃った外野手となっていく。
そのバッティングは伝説の名選手からも賞賛された。同時期にパ・リーグで活躍していたイチロー(当時オリックス)から一目置かれ、オールスターで真っ先に前田智徳のもとへあいさつに出向いたほど。三冠王・落合博満も天才と公言し、賛辞を惜しまなかった。
その天才が周囲を唸らせたのが、前掲の掛布雅之氏(元阪神)との対談で狙い球について聞かれた際の答えだ。冒頭の発言に続けて「狙ったら、誰でもある程度は打てますよ」と付け加えるなど打撃へのこだわりは単に「打てればいい」という次元を超えていた。その姿勢に掛布氏も「オマエも頑固だなァ(笑)。でも、それはいい点だよ」と感嘆することしきりだった。
この対談で前田は「今はこの程度だけど、2年後にはここまで行ける、3年後にはもっと上に行けるという自分への期待感がありますからね」と飽くなき向上心を隠すことがなかった。この年も、翌94年も打率3割を記録。天才打者のさらなる成長を誰も疑っていなかったが……。