甲子園の風BACK NUMBER
「プロは無理。次元が違う」大阪桐蔭で藤浪晋太郎と森友哉、大学で山川穂高と吉田正尚…春夏連覇の主将・水本弦がガク然とした“才能の差”
posted2024/04/15 17:03
text by
間淳Jun Aida
photograph by
Hideki Sugiyama
ごく限られた選手だけが味わえる歓喜も、夢を断念する挫折も経験した。ユニホームを脱いで3年。野球に没頭した時間が現在につながっている。
高校時代、藤浪と森の強烈な記憶
2012年、大阪桐蔭は史上7校目となる甲子園春夏連覇を果たした。後にプロ入りする藤浪晋太郎投手(現メッツ傘下3A)、澤田圭佑投手(現ロッテ)、森友哉捕手(現オリックス)ら個性の強い選手が集まっていたチームをまとめていたのが、主将の水本弦さんだった。
「我の強い選手ばかりだったので、縛らずに自由にやらせておけば問題ありませんでした。役割に対して強い責任感を持ってくれるので、その日の掃除といったちょっとしたことでも役割を与えるようにしていました。劣勢の試合展開でも『自分がいれば勝てる』という気持ちの強い選手が多く、チーム一丸になった時の力はものすごかったですね」
同級生の藤浪は入学当初から球が速かった。ただ、チームには他にもスピードを武器とする投手がいたため、飛び抜けた印象はなかったという。また、コントロールが定まらなかったことから、水本さんは「ポテンシャルは高くてもプロに行くのは難しい」と思っていた。
見方が変わったのは高校3年生になる頃だった。荒れ球ではあったものの、藤浪の投球にまとまりが出てきたと感じた。球速に加えて、球の強さも増していた。
「試合ではフルカウントになってばかりでしたが、失点は少なかったです。肝が据わっていましたね。3年生の時、藤浪はプロに行くと思うようになりました」
1学年下の森は入学当初から別格だった。衝撃だったのは、チームに加わったばかりのフリー打撃。聞いたことのない音がグラウンドに響いた。今も水本さんの記憶に刻まれている。
「チームには色んなメーカーの金属バットがあり、バットによって音に特徴がありました。でも、森だけは、どのバットを使っても音が違うんです。バットを振り切らなくても逆方向にすごい飛距離を出していましたし、確実にプロに行くと思いました」
大学で「次元が違う。勝負にならない」
石川県の中学校から大阪桐蔭に進んだ水本さんもプロを目指していた。