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「安定した生活を捨てるなんて」と言われても…大阪桐蔭元主将“26歳で引退後”の今「全く戦力になれなかった」異動のち退職、起業したワケ

posted2024/04/15 17:04

 
「安定した生活を捨てるなんて」と言われても…大阪桐蔭元主将“26歳で引退後”の今「全く戦力になれなかった」異動のち退職、起業したワケ<Number Web> photograph by Gen Mizumoto

現在は起業した大阪桐蔭高校の元主将・水本弦さん(左)と賛同する長井昭人氏

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間淳

間淳Jun Aida

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Gen Mizumoto

 高校野球界の“横綱的存在”である大阪桐蔭高校。そのキャプテンを務めた人物の今――。プロを目指した経緯を持ちながら、現役生活を終えての社会人生活のち現在は起業した水本弦さん(29歳)に、社会人生活と西谷浩一監督のチーム作りの極意について聞いた。(全3回の第2回/第3回へつづく)

「全く戦力になれず、申し訳ない気持ちで」

 かつて大阪桐蔭でキャプテンを務め、26歳限りで野球人生に幕を下ろした水本弦さん。彼が社会人野球時代に所属した東邦ガスで営業部から異動となって配属されたのは、ガス管の工事を手配したり、施工を管理したりする部署。基本的な知識や用語さえ分からない。

「営業時代は電気の販売をしていましたが、野球を辞めてからはガス設備の担当になりました。全く戦力になれず、申し訳ない気持ちでいっぱいでした」

 職場は理系の大学を卒業した人や工業高校の出身者ばかりだった。野球中心の生活を送ってきた水本さんにとっては、勝負できる場所ではなかった。1年半ほど社業に専念して退職を決めた。周囲からは「安定した生活を捨てるのはもったいない」、「せっかく、ここまで野球を頑張って入社した会社なのに」と言われた。だが、水本さんには会社に残る選択肢はなかった。

 野球に区切りをつけてから、水本さんは起業を考えていた。サラリーマンとして過ごしながら、どんな業種を専門にするのか考えていた。たどり着いた結論は、野球経験者に特化した就職・転職の支援だった。昨年5月、名古屋市に「リングマッチ」を立ち上げた。社名には、それぞれにふさわしいリング(土俵)で人材と企業をマッチングさせる思いを込めた。

「野球をしていた人と関わる機会が圧倒的に多かったので、自分自身を含めて長所と短所がはっきりと分かります。それを理解できている人が野球経験者と企業をマッチングさせれば、両者が幸せになると考えました」

合っている仕事と不向きな仕事を経験したからこそ

 水本さんは東邦ガスで自分に合っている仕事と不向きな仕事、どちらも経験している。

「野球で培った力を発揮できる仕事内容であれば、人一倍戦力になれるはず」

 野球経験を生かしたい求職者と野球経験が生きる企業をつなぐ事業に自身の適性とやりがいを見出した。

 水本さんは野球を通じた人脈を生かし、自ら営業マンとなって野球経験者を求める企業を全国から集めている。

【次ページ】 人材育成のビジネススクールの夢も持っている

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