甲子園の風BACK NUMBER
「プロは無理。次元が違う」大阪桐蔭で藤浪晋太郎と森友哉、大学で山川穂高と吉田正尚…春夏連覇の主将・水本弦がガク然とした“才能の差”
text by
間淳Jun Aida
photograph byHideki Sugiyama
posted2024/04/15 17:03
2012年、甲子園春明連覇を達成した当時の水本弦さんと藤浪晋太郎
亜細亜大学卒業後は、社会人野球の強豪・東邦ガスに進んだ。ここでもチームとしての結果にこだわったが、怪我もあって思うように貢献できなかった。2021年、26歳で野球人生に幕を下ろした。
東邦ガス時代、現役中は硬式野球部に所属する社員のため、活動がない時間はサラリーマンとして働く。現役引退後は、朝から夕方まで他の社員と同じように勤務した。
野球部に所属していた頃は営業を担当していた。シーズン中は午後から練習だったためスーツを着るのは午前中に限られたが、シーズンオフは1日中、外回りをした。若手社員に敬遠されがちな飛び込み営業も苦にならなかったという。営業を楽しむゆとりもあり、契約も取っていた。
野球部の主将と通じるところがありました
「どのようにお客さまに説明すれば良いのか、どんな声のトーンなら話を聞いてもらえるのかなど、野球部の主将と通じるところがありました。課題への取り組み方や監督の要求に応える方法を考える習慣も生きたと思います」
挨拶や体力といった営業マンの基本となる要素も野球で備わっていた。一方、現役を退いてサラリーマンに専念してからは思わぬ苦戦を味わうことになった。
<つづきは第2回>