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「燃え尽き症候群」で引退→26年後に復帰、杉村太蔵44歳に聞いた「元国体王者が今テニスに打ち込むワケ」「現実を受け入れるのに時間が…」
posted2024/04/13 11:03
text by
堀尾大悟Daigo Horio
photograph by
Yuki Suenaga
1年生議員を「テニス」が救った
大学での引きこもり生活から清掃員、証券会社の雑用係を経て、一転して「センセイ」と呼ばれる立場になった杉村。当時は「お騒がせ議員」として、「念願のBMWが買える!」「料亭、行きてぇ!」など数々の放言を繰り返し、次の失言を期待する多くのメディアに常に取り囲まれていた。
そんな杉村を気遣ったのか、永田町の右も左もわからない彼のために、小泉純一郎首相を支えた飯島勲秘書官(当時)が各省庁からエース級の官僚を呼び寄せ、定期的に政策勉強会の機会を設けてくれた。
「後に事務次官になるようなエリートの方々が、『日本の財政事情』『農林水産行政の課題』などをレクチャーしてくれるんです。そして……なぜか不思議なことに、全員テニスが好きなんですよ」
杉村は「なぜか」と言うが、おそらく意図的な人選なのだろう。こうして、エリート官僚たちと杉村議員は「テニス」という共通項で結ばれ、週末にはラケットを手にコートに集い汗を流した。
「政策のことを一方的に教わる立場だったから、『今度、テニスを教えてください』と言われたら喜んで応じました。それに、テニスコートの中だったら私が先生になれるんです(笑)。このときばかりは、テニスに救われましたね」
テニスで栄光をつかみ、テニスで奈落の底に突き落とされ、また今度はテニスが身を助ける――コートの上で前後左右に振り回されるように、よくも悪くもテニスというスポーツに翻弄される。それが杉村太蔵の人生なのだろう。
競技復帰につながった「失言」
その後、永田町から芸能界へと活躍の場を移し、今では「薄口政治評論家」としてお茶の間に定着した杉村。投資家や、地元・旭川では飲食店を経営する実業家としての顔も持ち、講演でも全国を飛び回る。