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高校日本一も筑波大でテニス引退&中退…杉村太蔵が明かす「燃え尽き症候群」の過去「大学6年間は何ひとついい思い出がない」
posted2024/04/13 11:01
text by
堀尾大悟Daigo Horio
photograph by
Yuki Suenaga
現在、タレントとしてテレビを中心に活躍する元衆議院議員の杉村太蔵さん。高校時代はテニス部に所属し、国体で優勝するほどの腕前を持つ杉村さんは推薦で筑波大に入学も、テニスを続けることはなかった。将来を期待された「高校日本一」の選手は、なぜコートを去ったのか。(Number Web「私の部活時代」インタビュー全3回の第2回/初回はこちら)
「監督以上に、太蔵が怖かった」
高校3年生となった杉村は、札幌藻岩高校テニス部のキャプテンに就任。名実ともに同校の大黒柱となり、「日本一」の悲願に向けてさらに練習に力を注いでいく。
杉村の掲げる「日本一」とは個人ではなく、あくまで団体優勝のこと。だから、自分だけでなく仲間のレベルも引き上げなければいけない。杉村の勝利への執着はチームメイトにも向けられ、厳しく接し、時には容赦ない叱責を浴びせた。
「あまり練習に身の入っていないヤツを見ると、正直ムカついていましたよ。『練習イヤだなぁ』などとつぶやいているヤツがいたら『何いってんだよ!』と怒鳴ったり。今も当時の仲間たちと集まると『監督以上に太蔵が怖かったよ』って言われます(笑)」
なんでそんな簡単なこともできないんだよ
それに、テニス一家に生まれ、幼少期からラケットを握っていた杉村はいわゆる天才肌の選手。周りのできない選手を見ても、そのできない理由がわからない。それもまた彼の苛立ちを募らせた。
「サーブが苦手なヤツに『もっと肩の力を抜けよ』と言うのですが、そもそも彼はその力の抜き方がわからなくて悩んでいるんですよね。でも、当時の僕は『なんでそんな簡単なこともできないんだよ』と思っていました。僕みたいな人間には一生コーチは務まりませんね(笑)」
それにしても、高校時代の話を聞けば聞くほど、お茶の間で見る「杉村太蔵」のイメージとはかけ離れた意外な一面に驚かされる。当時の杉村はただ純粋に、「北海道から日本一へ」という頂点だけを見つめ、自分に、そして仲間に厳しく接していたのだ。