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「平日は16時から終電まで、休日は朝から12時間以上練習」…日大アメフト“最後の日本一QB”が語った勝利の理由「あの年、本当の敵だったのは…」
text by
北川直樹Naoki Kitagawa
photograph byNaoki Kitagawa
posted2024/02/18 11:04
廃部が決定した日大アメフト部が最後の日本一に輝いたのは2017年のこと。この年エースQBを務めたのは、まだ1年生の林大希だった
17年の第二次内田監督体制下に入学した林は、当時をこう振り返る。
「日大に進学を希望していた多くの同期は、新しいやり方(16年の高橋体制やその方針)を期待して入学していました。でも、入ってみたら聞いていたのと180度やり方が違う。正直戸惑いは大きかったです」
16年と比較して、練習時間は数倍に増えた。具体的には、平日の練習は連日16時から終電ごろまで行い、土日や休日は朝から晩まで12時間以上にも及んだ。毎日、練習前に2500ヤードの走り込みを行い、そこからポジションごとや複合のユニット練習を行った。
プレーを実際に合わせるスクリメージ練習ではプレーの本数や時間を定めずに、監督が納得いくまでやり続けさせられた。時には練習後に、最初から全メニューをやり直すこともあったという。あまりの辛さと強硬な方針への反発から、30名ほどがチームを去った。
身体づくりや基礎的なトレーニングには、ほとんど時間を割かなかった。徹底した実戦練習を行ったものの選手たちに手応えや成長実感はなく、あまりの過酷さから部員は痩せていった。
「肌感では(パフォーマンスは)上がるどころか、どんどん落ちていっている感じでした」
そう林は振り返る。
退部者の影響から、最前線で相手に当たりランナーの走路を切り開くオフェンスラインの人数が足りなくなった。他のポジションから補充を行うなど、すでにチームはギリギリの状態。日々の練習をやり抜くことに、すべての力を費やさざるを得なかった。
「対戦相手を意識する余裕はなかった」
一方で、そんな旧時代的なトレーニングを経て、選手の中には妙な一体感が生まれてきていた。
「日本一になれば、お前たちの意見を取り入れてやる」
これが当時のコーチから告げられた方針だった。リーグ戦で勝つことができれば、首脳陣から課された猛練習が少し軽くなるかもしれない——。選手たちはそこに向かって努力をした。
「とにかく、しんどい練習から解放されたかった。そのために勝利を目指していました。対戦相手に勝つというよりは――監督に勝つためという感じでした」
当時、対戦相手を意識する余裕はなかったと林は言う。
迎えた秋のリーグ初戦では、ギリギリで中央大に逆転勝ち。そこからは次々と勝ちを重ねていった。だが、約束されたように「練習が軽くなる」ことはなかったという。「話が違う」。しかし、同時に長時間の練習で培ったスキル面の“勘”は研ぎ澄まされていった。