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「平日は16時から終電まで、休日は朝から12時間以上練習」…日大アメフト“最後の日本一QB”が語った勝利の理由「あの年、本当の敵だったのは…」
posted2024/02/18 11:04
text by
北川直樹Naoki Kitagawa
photograph by
Naoki Kitagawa
「西高東低」――。
昨年12月に行われた78回目のアメリカンフットボールの全日本大学選手権・甲子園ボウルは、関西学院大学ファイターズと法政大学オレンジが対戦し、関学大が61対21で勝って史上初の6連覇を果たした。
甲子園ボウルは2009年の第64回大会以降、それまでの東西(関東と関西)選手権から全日本選手権に方式を変更。全国のリーグに門戸を開いているが、未だ関東と関西リーグ以外の出場はなく、実質的には東西の大学での決勝戦となっている。そして近年は、関西代表として出場をつづけている関学大の圧勝がつづいている。
甲子園ボウルで最後に関東勢が勝ったのは7年前の17年まで遡る。関学大を23-17で打ち破ったのが、日本大学フェニックスだった。現在、廃部騒動に揺れる日大は、なぜあの試合で日本一に輝くことができたのだろうか?
当時のエースQBで、1年生として史上初の年間最優秀選手賞「チャック・ミルズ杯」を受賞した林大希に当時の状況を聞いた。
2017年、日大アメフト部の状況は…?
ちょうどこの頃、日大フェニックスはある“変革期”を迎えていた。
15年シーズンをもって、13年間チームを率いた内田正人監督が退任。16年は高橋宏明監督のもと新しい体制を組んでいた。チーム方針の大きな変更点としては、それまで長時間に渡っていた練習時間を数時間に圧縮し、筋力トレーニングやミーティングに時間を割くというものだった。端的に言えば、現代的に「効率」を意識するものだったという。
しかし、結果は関東リーグ戦で3勝4敗の4位に終わる。それまで20回もの甲子園ボウル制覇を誇る強豪からすれば、惨敗と言っていい結果だった。これを受け、前年まで監督を務めていた内田氏が再度、監督に就任してチームの立て直しを行うことになった。