巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER
落合博満の告白「泣くつもりは全然なかった」まさか…40歳落合が3万5000人の前で泣いた日「巨人1年目の落合は“期待外れ”だったのか?」
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2024/01/28 11:03
1994年、伝説の試合「10.8決戦」。祝勝会、長嶋茂雄監督の横にはホッとした表情の落合博満がいた
「ナゴヤ球場は、普段、勝っても負けてもお客さんが騒ぐのに、優勝が決まった時、『いいもの見せてもらった』って、誰も騒がなかった。優勝の瞬間は、覚えてないんだよ。(中略)後ろで治療して、9回にユニフォーム着直して出ていった。ダッグアウトで篠塚らが握手にきて、ゆっくりグラウンドに出ていったから、長嶋さんとベンチでは、顔を合わせなかったんです。でも、泣くつもりは全然なかった。優勝できて良かったというより、責任を果たしたな、ってホッとしたんだ。気が緩んだんだろうね」(VHS「長嶋茂雄 第三巻 背番号33の時代」/メディアファクトリー)
落合は“正統派ヒーロー”になった
中日のキャッチャー中村武志は、前年までの同僚で自分が知るマイペースでいつも冷静なポーカーフェイスのオレ流ではなく、大一番に臨む、人間・落合がむき出しになったかのような雰囲気に戸惑い、圧倒されてしまったという。
「絶対に負けられない、という気持ちを中日の選手がどれだけ持っていたのか……。その違いがあの試合で巨人の選手と僕たちの一番大きな部分ではなかったかと思います。(中略)グラウンドに立った瞬間に、巨人の選手、特に落合さんが見せていた悲壮感というか、思い詰めたようなムードに圧倒されてしまった。その違いが結果に出たというのはあったと思います」(10.8 巨人vs.中日 史上最高の決戦/鷲田康/文春文庫)
1994年10月8日。その夜はプロ入り以来ずっと反体制のアンチヒーローだったオレ流が、スーパースター長嶋茂雄を救う正統派のヒーローになった瞬間でもあった。『週刊ベースボール』1994年10月24日号では、祝勝会で鏡割用の酒樽に手を突っ込み満面の笑みでナインに酒をかけまくる背番号60の姿を「好漢・落合茂雄」と巻頭グラビアで掲載している。「最も大事な試合の、最も大事な第1打席で、今シーズン最高のスイングを見せた」現役時代に“燃える男”と大一番で誰よりも頼りになった長嶋茂雄が、平成の落合に乗り移ったというわけだ。
巨人1年目の落合は“期待外れ”だったのか?
巨人1年目の落合の打撃成績は129試合、打率.280、15本塁打、68打点、OPS.815。三冠王には程遠く、あらゆる部門でロッテ時代のレギュラー定着後、最低の数字が並ぶ。球界最高年俸プレーヤーとしては、期待外れだったのも事実だ。だが、130試合目の頂上決戦で堂々と四番を張り、先制ホームランと勝ち越しタイムリーを放ち、チームを優勝に導いたという結果の前には、打撃三部門の数字はほとんど意味を持たなかった。
皮肉にも、これまで圧倒的な数字を残すことで成り上がってきた男が、この年は初めて個人成績を超えたところで評価されたのである。そして、それは同時に落合博満が逆風の中で、「長嶋監督を胴上げする」という野球人生を懸けた一世一代の大勝負に勝利したことを意味していた。批判の中で落合をサポートし続けた信子夫人は、10.8決戦の直後、こんなコメントを残している。