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“アジアカップ事件簿”超アウェイ中国で大ブーイングに晒され…「PK戦でゴール変更」「絶体絶命からの大逆転」なぜ日本代表は優勝できたのか?
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byReuters/AFLO
posted2024/01/22 17:03
2004年のアジアカップ、ヨルダンとの準々決勝で魂のPKストップを見せた川口能活。キャプテン宮本恒靖の“交渉力”も注目を集めた
「何とかできへんかと思って、主審に『ゴールを変えよう』って言ったんです。(04年6月から7月開催の)ユーロでもベッカムが、PK戦で足場が悪くて外している。ひとり目は様子を見たけど、三都主も失敗したのでおかしいと。蹴りづらいピッチでやるのはフェアじゃないと思って、逆サイドでもできると主審に伝えたんです」
絶体絶命の状況で…川口能活が見せた“魂のセーブ”
宮本の提案は認められ、ヨルダンの2人目から逆サイドのゴールへ移る。その後は両チームともに成功させ、2対3でヨルダンの4人目となる。決めらたらジ・エンドだ。
GK川口能活が構える。射るような視線で、キッカーの動きを見定める。右へ飛ぶ。左手の指先がボールの軌道を変える。バーを叩いたボールは、内側ではなく外側へ転がっていった。右手を突き上げながら、川口は流れを変えることができたとの思いを抱く。
「最初はちょっと、自分のなかでリズムがつかめなかった。僕の間合いでなかったんです。でも、相手の3本目から何となく感じが合ってきて、4本目を止めたことでこっちのペースへ引きずり込めたかな、と」
日本は5人目の鈴木が決め、3対3となる。ヨルダンの5人目を止めなければならないが、川口の圧力が相手のシュートミスを誘う。
サドンデスの6人目は中澤佑二だった。ここで相手GKが立ちふさがる。中澤は天を仰いだ。それならば、と川口がまたも入魂のセーブで立ちふさがる。3対3のままに食い止める。
気まぐれな勝利の女神は、ついにどちらへ寄り添うかを決めた。7人目で登場した宮本が決めると、ヨルダンの7人目のシュートは左ポストを叩く。
勝ったのは、日本だった。
勝利の立役者となった川口は、数少ない海外組として中国で戦っていた。彼がプレーするデンマークリーグは大会期間中に開幕するため、所属するノアシェランからはキャンプへの合流を要請されていた。川口自身も参加に前向きだったが、サッカー協会とクラブ側の話し合いでアジアカップ出場が決まったのだった。
準決勝で再び窮地も「まだ追いつけるんちゃうか」
スリリングなPK戦から3日後、準決勝の相手はバーレーンである。日本は開始早々にビハインドを背負い、40分には遠藤保仁が一発退場を宣告されてしまう。アウェイの空気感と相手のオーバーアクションに、主審が呑み込まれたようなジャッジだった。