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“アジアカップ事件簿”超アウェイ中国で大ブーイングに晒され…「PK戦でゴール変更」「絶体絶命からの大逆転」なぜ日本代表は優勝できたのか?
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byReuters/AFLO
posted2024/01/22 17:03
2004年のアジアカップ、ヨルダンとの準々決勝で魂のPKストップを見せた川口能活。キャプテン宮本恒靖の“交渉力”も注目を集めた
それでも、中田浩二と玉田圭司のゴールで、日本は先行する。2対1のまま試合を進めていくが、71分と残り5分の失点で試合を引っ繰り返されてしまう。スタジアムは「バーレーン!」の大合唱だ。
残り時間が減っていく。もうずいぶん長い時間、決定機を作れていない。敗戦の危機が忍び寄るが、宮本は「これ、まだ追いつけるんちゃうか」と思っている。
「試合をやっていて、アジアの国の甘さが見えるんです」
88分、バーレーンのCBが担架でピッチ外へ運ばれた。傷んだのではなく、時間稼ぎだった。その瞬間、宮本は中澤へ「上がれ!」と声をかけた。ボランチの中田浩も「後ろはカバーするから!」と続く。直後、相手ゴール前へ攻め上がった中澤が、ヘディングシュートを突き刺したのだった。
殊勲のボンバーヘッドも冷静である。
「10人になったら、もちろんピンチですよ。でも、こっちが10人になると、相手は絶対にホッとする。油断するところがあるんですよ。だから、どこかでチャンスがあるんじゃないかって気持ちはありました」
3対3に追いついた日本は、延長前半早々に玉田が中央から強引に持ち出し、GKとの1対1から4点目を決め切る。その後は何度も際どいシーンを作られるものの、ギリギリでしのいでいく。
当時は試合中の選手交代が3人までで、これが大会5試合目である。さらに言えば、日本はバーレーンより試合間隔が短かった。選手たちの疲労は相当なものだったが、4対3で逃げ切ったのだった。
「大観衆を沈黙させた」開催国・中国との決勝戦
大会初戦からブーイングを浴び続けてきた日本にとって、中国とのファイナルは最高のシチュエーションだった。
「準々決勝、準決勝と、自分たちのプレーで観衆を黙らせることができた。決勝戦でも僕らにブーイングをしてくる人たちを、沈黙させてやりますよ」
試合前に川口が話したとおりに、日本は3対1で勝利をつかんだ。中国の一部ファンによる乱暴行為が取り上げられたが、ピッチ内でははっきりとした力の差を見せつけた。快勝である。
中田英寿、柳沢敦、小野伸二、稲本潤一、高原直泰らの海外組に加え、坪井慶介や久保竜彦らの国内組も欠場したなかで、ジーコ率いる日本は頂点に立った。レギュラーと控えの立場を超えてチームが一体となった優勝は、ジーコのチームだけでなく日本代表の羅針盤となっていくのである。
<第3回「スリル満点の2011年大会」編に続く>