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「絶望感がありました」一度は陸上界を離れ…“箱根駅伝のヒーロー”竹澤健介はなぜ関西の大学で指導者に?「関東、関西と分けたくないんです」
posted2024/01/08 11:02
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph by
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竹澤健介はなぜ「実績のないチーム」を選んだのか
「チームと一緒に移籍することも、もちろん1つの選択だったのかもしれません。でも、その時の僕にはそれは選べませんでした」
所属していたエスビー食品陸上部の廃部が決定し、チームは新しく創部されるDeNAに転籍することになったが、竹澤健介はその道を断った。
実は大学卒業後に社内留学制度を利用し、早稲田大学の大学院に通って睡眠を研究していた。練習の拠点は学生時代から変わらず所沢のままで、引き続き、大学時代の恩師である渡辺康幸の指導を仰いでいた。エスビー食品を退社し実業団に在籍していない時期にも、練習環境は変えなかった(姫路市陸協で試合に出ていた)。その後、地元・兵庫県に拠点がある住友電工に入社が決まった。
「僕が入る前までは同好会だったんです。ちょうど強化部になるタイミングでお声がけいただきました」
創部は古いが、エスビー食品と同じように廃部になった実業団から加入した選手を受け入れ、強化が始まっていた。まだ実績はなかったが、そこに飛び込むことに抵抗はなかった。
「モチベーションも上がるし、責任感も芽生える。無駄に自分を追い込んでいるのかもしれない、と思うこともありますよ。たしかに、人生はもっと楽に生きたほうがいいのかもしれません。生き方の問題ですかね(笑)」
入社すると早速、関西実業団駅伝で活躍を見せ、ニューイヤー駅伝初出場の原動力になった。そのことはチームの一員として素直にうれしく思えた。
個人としては『もう一度、五輪へ』という期待を会社からかけられていたし、自分自身もそのつもりだった。しかし、最後は痛めていた箇所にメスを入れるまでしたが、叶えることはできなかった。