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「絶望感がありました」一度は陸上界を離れ…“箱根駅伝のヒーロー”竹澤健介はなぜ関西の大学で指導者に?「関東、関西と分けたくないんです」 

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和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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posted2024/01/08 11:02

「絶望感がありました」一度は陸上界を離れ…“箱根駅伝のヒーロー”竹澤健介はなぜ関西の大学で指導者に?「関東、関西と分けたくないんです」<Number Web> photograph by Number Web

現在は摂南大の陸上競技部でヘッドコーチを務める竹澤健介。大阪経済大に続き、関西圏の大学で指導者としてのキャリアを歩んでいる

「自尊心が削がれ…」現役引退時の“絶望感” 

 そして、リオ五輪があった2016年のシーズンをもって競技から退くことを決めた。

「やっぱり体はしんどかったですね。やり残したというより、絶望感のような気持ちがありました。自分に期待できなくなるって結構、自尊心が削がれるんです。

 確かに肩の荷が下りたのもありましたが、次の目標がなかなか見つけられなかった。アイデンティティを形成している一番太い柱が折れた状態なので、そこを補う何かを見つけるのは容易なことではないですよね。

 時間がいろんなことを解決してくれるというか、今はこうやって客観視できますが、その頃はうまく話せたかどうか……」

 現役引退後は、住友電工でサラリーマン生活を送った。人材採用の部署に所属し、大学を回って会社説明を行うなど、あくせくと働いた。競技者だった頃とは生活が一変し、ホルモンバランスが崩れたこともあったという。

恩師の訃報を受けて指導者の道へ

 しばらくは陸上競技から離れた生活を送っていたが、ほどなくして転機が訪れる。2018年1月に高校時代の恩師である鶴谷邦弘の訃報が届いたのだ。鶴谷は報徳学園高を退職した後に、2010年から大阪経済大の監督として新たなキャリアをスタートさせ、チームを全日本大学駅伝に導いていた。

「鶴谷先生はガンの闘病中で歩けないのに、タクシーで競技場に乗り付けて、選手に向き合っていたと聞きます。最期まで生粋の指導者でしたね」

 報徳学園高を率いていた時には、須磨海岸での寒中水泳、10mの高さからの高飛び込みなど、一風変わった指導でも名を知られていた。竹澤も高校時代にはそういった指導を受けていた。その鶴谷の亡き後、後任として白羽の矢が立ったのが竹澤だった。

「鶴谷先生からは『お前は強い選手の気持ちしか分からないから、弱い選手、苦しんでいる選手の気持ちは分からないよ』って言われたことがありました。そんな言葉もあったので、最初はお断りしました」

 最初に打診された際には受諾することはなかったが、悩んだ末に「恩師が指導していたチームで指導者としてスタートを切るのは、自分らしい進路選択なのかな」という思いが芽生え、2019年4月に大阪経済大の長距離ブロックヘッドコーチに就任した。

 こうして、関西の大学で竹澤は指導者としての道を歩み始めた。

【次ページ】 「関東、関西とあまり分けたくないんです」

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