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実況も「駅伝にトラウマがある」…《箱根駅伝優勝》青学大7区・山内健登の波乱万丈“全日本で大ブレーキ”から3年越しのチャンスを掴むまで
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph byYuki Suenaga
posted2024/01/04 17:03
箱根駅伝で総合優勝の青学大7区を走った山内健登(4年)。1年目の大ブレーキで失った信頼を3年かけて取り戻し、最後のチャンスを掴んだ
そんな最上級生としての自覚が、山内の原動力だ。前年度に大学駅伝三冠を成し遂げた駒大が相手でも、優勝という目標を果たすための力になるつもりだった。そして、念願叶って、箱根駅伝でも出番を勝ち取った。
走れなかった過去3年間の箱根駅伝で山内は、昨年までエースだった近藤幸太郎(現SGホールディングス)の給水係を務めていた。
山内がブレーキをした3年前の全日本で、当時2年生だった近藤もまた2区13位と辛酸をなめている。だが、近藤はそこからきっちり修正し、その年度の箱根駅伝に出場を果たしていた。
当時、近藤と同部屋だった縁もあり自ら給水係を志願。箱根路で力走し、エースに成長していく近藤の走りを山内は間近で見てきた。
憧れの先輩からのメッセージは…?
今回、山内が走った箱根7区は、3年前に近藤が走った区間でもあった。1月3日、復路の朝、レースに臨む山内のもとに、その近藤からLINEでメッセージが届いた。
『給水をしてくれた健登が、こうやって大舞台に立てることは俺もうれしい』
「わりと長文でうれしい内容でした。自分は涙もろいので、そのメッセージを見ただけで泣きそうになったんです。でも、涙は大手町まで取っておこうと決めていたので、泣かずに臨みました」
憧れの先輩からの言葉を力に変えて、山内は最初で最後の箱根駅伝に臨んだ。
結果は区間3位。奇しくも、近藤の箱根デビューと同じ区間順位だった。
「監督から『練習は全部できたから走れる』と言われ、自信をもって臨みました。目標には程遠いタイムだったんですけど、ライバルチームである駒澤大学を引き離すことが自分の役目だったので、それを果たせたことは良かったと思います」
山内がタスキを受けた時には、すでに2位・駒澤と4分17秒のタイム差があったが、その差をさらに27秒も広げた。会心の走りというわけではなかったかもしれないが、与えられた仕事はまっとうした。
そして、チームも前評判を覆して、総合優勝を果たした。山内が憧れた“強い青山学院”を、今度は自らが体現してみせた。
山内の4年間は、思わぬ悔しさを味わうところから始まった。それでも、最後は最高の形で締め括ることができたはずだ。