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「挑発してきたGKに…ザマアミロ」“昔はヤンチャな苦労人”名FWマルキーニョスが語る日本愛「クボとミトマにホレ込んでる」「今すぐ日本で…」
posted2025/04/18 17:02

横浜F・マリノス時代のマルキーニョス。2003年、2012、13年と計3シーズンプレーした
text by

沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Takuya Sugiyama
鹿島アントラーズに骨を埋める夢を絶たれたブラジル人ストライカー、マルキーニョスは35歳となる2011年、ベガルタ仙台へ移籍した。新天地で未曽有の災害に襲われて一度は日本を去ったものの、かつての古巣F・マリノスで健在ぶりを発揮した。
今明かすベガルタ退団→マリノス復帰の真相
――3月5日の開幕戦(対サンフレッチェ広島)にフル出場した後、11日、東日本大震災が起きました。
「僕たちブラジル人は、地震にも津波にも全く慣れていない。日本へ来た当時、関東地方で震度1か2の地震が起きただけで肝を冷やしたくらい。だから、この大災害に震えあがり、プレーできる精神状態ではなくなった。クラブとファンには申し訳なかったけれど、退団を申し入れ、了承してもらった」
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――この年の後半、ブラジル1部の強豪アトレチコ・ミネイロでプレーしたが、2012年に横浜F・マリノスへ復帰。これには、抵抗を覚えたファンもいたようです。
「その気持ちは理解できるよ。でも、僕は日本やJリーグに愛想を尽かしたわけじゃない。地震と津波に衝撃を受けたのは事実だけど、日本が全国どこでも危ないとは思っていなかった。
マリノスは古巣であり、2003年にJリーグを制覇しており、鹿島の次に愛着があったクラブ。強く勧誘してもらったので、オファーを受けた。30代後半になっていたけれど、体調は良かった」
――この年、Jリーグで22試合出場して10得点。2013年は、32試合で16得点を記録しました。最後に所属したヴィッセル神戸でも2シーズンで公式戦19ゴールを挙げ、J1リーグ戦では外国人史上最多の152ゴールをマークしました。だからこそお聞きしたいのですが、優れたストライカーになるにはどうすればいいのでしょうか?
「目標とする選手のプレーを良く観察し、長所を真似る。その上で、自分の特長を付け加える。そのために、とにかく練習するんだ。ありとあらゆるパターンのシュート練習、DFとの1対1、GKとの1対1を、毎日毎日、繰り返す」
――あなたは、GKと1対1になると、ほとんど決めていました。
「僕に言わせれば、GKと1対1になって外す選手がいるのが信じられない。ボールを持っているこちらが、圧倒的に有利。キックフェイントをしたら、GKは必ずバランスを崩す。それを見て、逆方向へボールを送り込むだけさ。こういったちょっとしたコツが沢山ある。請われれば、今すぐにでも日本へ行って、若い選手に手取り足取り教えたいよ」
マルキーニョスはブラジル時代から苦労人だった
こう笑顔で語るマルキーニョスは、いかにしてストライカーとして決定力を育んできたのか。そもそも彼は、ブラジル時代から厳しい境遇を乗り越えてきた苦労人なのである。