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ヤクルト野村克也監督に批判殺到「なぜ落合が外されるんだ?」巨人・落合博満40歳“まさかの落選事件”「野村監督は落合が嫌いなようだ」 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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posted2023/12/24 11:07

ヤクルト野村克也監督に批判殺到「なぜ落合が外されるんだ?」巨人・落合博満40歳“まさかの落選事件”「野村監督は落合が嫌いなようだ」<Number Web> photograph by KYODO

1994年7月26日の阪神戦で。一塁ゴロをエラーし、肩を落とす落合

 宿敵のベテランスラッガーを休ませるなんて策士・野村らしくない、というわけだ。松井を巨人ではまだ経験のない全セ四番に抜擢したのも、「将来日本を代表する打者になる男に、いまから四番の自覚を持たせたい」というノムさんの言葉通りに受け取る関係者は少なく、自軍で落合を四番で使い続けるミスターへの揺さぶりと囁かれた。球宴第2戦を勝利で終え、長嶋監督もいる全セのベンチの中で、「みんなご苦労さん。さあ(球宴も)終わったことだし、みんなで巨人を叩いてセ・リーグを面白くしよう」なんてジョークをあえて口にしてみせる59歳の月見草。“打倒・巨人”こそ、野村の野球人生のガソリンだった。

落合と野村が“笑顔で話した日”

 そんな周囲の喧噪を横目に、当事者の落合本人は「ちょうどよかったよ。体を休められるしな。念願がかなったよ。毎年、出たくないといってたしな」と表面上は軽く受け流す。そして、7月17日の前半戦ラストゲームが終わると大阪の整体院へ向かい全身にハリを打った。前半戦はチーム78試合すべてに四番として出場。打率.289、10本塁打、50打点という成績を残し、一塁守備でも懸命にボールに食らいつき、「中日時代に、あんなプレーは見せたことがない」と記者も驚くほどだった。しかし、7月に入り打席内で首をかしげる背番号60の姿は、さすがに疲労の蓄積を感じさせた。

 結局、1994年夏の落合球宴落選は、当時の巨人とヤクルトという強烈なライバル関係の延長線上で起きた騒動だったが、野村と落合はある意味、似た者同士だった。南海でプレーしていた野村が、三冠王を獲ろうがたいして注目されず、圧倒的な人気を誇る巨人やONに対して強烈な劣等感を抱いていたように、同じくパ・リーグ出身で三冠王に三度輝いたロッテ時代の落合も、巨人に対抗意識を燃やしたひとりだったからだ。

『週刊宝石』の自身の連載「三冠王落合博満の広角フリートーク」では、「プロの野球チームは、ジャイアンツだけじゃない」と吠え、巨人からロッテにトレードできた山本功児が麻雀が強いと聞けば、キャンプで卓を囲んで負かして、「巨人のレベルなんて疑わしいもんですね」なんて子どものように笑ってみせる。長嶋茂雄に憧れたオレ流は、一方では心のどこかで野村克也の生き方にもシンパシーを感じていたのではないだろうか。現役引退後、評論家として阪神キャンプ地を訪ねた落合は、監督の野村と膝を突き合わせ、長時間に渡り野球談義を交わしたという。

<続く>

#20に続く
「お前、2回目だろっ!」巨人・落合博満40歳が死球に激怒、ヘルメットを叩きつけた日…原辰徳36歳は落合をライバル視「あの人より、先には辞めない」

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