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鉄道会社の運転士、整形外科医、そして大エースは?…全国高駅伝“連続入賞新記録”に挑んだ《駅伝超名門》佐久長聖高ランナーたちの「その後」
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2023/12/24 06:09
高野は鉄道マンとして長野で勤務する。佐藤は未だ現役として活躍中だ。都甲は医師として佐久長聖のチームドクターも務める
「自発的に行動することが、どれほど大切なのか。また、それをしなければどんな惨めな結果が待っているのか。その両方を身をもって知る事ができたと思います。その意味では『3年目の集大成でメンバー入り』ではなく、2年生でメンバー入りし、3年生で走れなかったという順番も大きな経験ですね」
1年の浪人生活を経て、都甲は国立大学の医学部に合格した。それは、奇しくも駅伝部での“不完全燃焼”の実体験が活きたゆえの結果でもあった。現在は整形外科医として、同部のチームドクターも務めている。
「受験ももちろんですけど、それ以上に今の仕事に活きる体験だったと思います。高校時代に“後悔”を残すことの重さを知っているぶん、中高生を診るときは個々のレベルや目標を考えて治療戦略を立てますね。『治るまで安静』を指示する事は簡単。ですが、その結果、無念を残してしまわないか。高校時代に輝くことが大事な選手もいる。そういったケースでは、完治前でも復帰できるよう模索するようになりました」
今も胸に残る悔恨の記憶は、一方で医師としての都甲の支えにもなっている。
◆◆◆
“大エース”佐藤悠基が振り返る「2004年の都大路」
多くのチームメイトがその存在の大きさを感じていた“大エース”佐藤悠基本人は、あの年の都大路をどう捉えているのだろうか?
「1万mの記録を出した翌日が大学入試だったり、肉体的にも精神的にも負担がかかりやすい状況ではあったのかもしれません。振り返ってみると、この頃は寝ている時にけいれんしたり、金縛りみたいな症状も出ていて、プレッシャーもあったんでしょうね」
とはいえエース区間で7位。大失敗というほどの走りではなかったことは客観的に見れば間違いない。ただ、佐藤は少し考えて、こう言葉を紡いだ。
「ブレーキとかではないんですけど、やっぱりあの年は僕がちゃんと滑り出さないと厳しい状況でしたから」
チームの浮沈が自分にかかっていることは百も承知だった。そして、走り以前にこの年のチーム状況に対しての責任も感じていた。
「この年は僕自身が練習メニューもチームとほぼ別になっちゃったので、基本的に1人でやるような状況になっていた。そこでチームを底上げするような練習メニューを引っ張ることができなかった。その分、チーム全体で見れば強化が進まなかったのもあると思います。そこは多分、難しいところなんですけど……」
要は卓越した才能を抱えるチームの方針に関する問題である。言葉を選ばずに言えば、エースを「チームのために」使うことを良しとするかどうかが問われるということでもある。