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「なにバカなこと言ってんの?」巨人・落合博満40歳は記者に不機嫌だった…一方で「すまん」痛恨エラーの夜、“15歳年下”ピッチャーにまさかの謝罪 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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posted2023/12/10 11:01

「なにバカなこと言ってんの?」巨人・落合博満40歳は記者に不機嫌だった…一方で「すまん」痛恨エラーの夜、“15歳年下”ピッチャーにまさかの謝罪<Number Web> photograph by KYODO

長嶋茂雄監督のすぐ隣を定位置にしていた巨人1年目の落合博満(当時40歳)

 崖っぷちの原はギプスが取れてから、わずか4日目にスパイクを履いての練習を再開。「現場(一軍首脳)は6月でいいから、ゆっくり間に合わせろといってくれてますが、自分ではそんなつもりはないよ。ズバリ5月20日。ここをメドに一軍に戻るつもりだよ」と「週刊ベースボール」の直撃に自身を鼓舞するかのように宣言。しかし、復帰を焦るあまり、飛ばしすぎて5月28日には背筋痛で一軍合流直前に無念の再リタイアだ。当時スポーツキャスターで、少年時代に原に憧れて東海大相模高のセレクションを受けたことのある栗山英樹は、取材中に偶然その瞬間に立ち会い、「このまま引退するんじゃないかというほどひどいと聞いて、すごく心配した」と明かしている。

原への猛批判「プライドもへったくれもあるか」

 結局、背番号8はチームの52試合目、原家の朝食に赤飯が並んだ6月14日の阪神戦に「七番サード」でようやく復帰。すると、第二打席で先発・藪恵市のフォークボールを東京ドームの左翼席にライナーで叩き込んだ。246日ぶりの一発に試合後のお立ち台では、「一番嬉しいホームランと言ってもいいんじゃないですかね」と目を潤ませて大歓声に応える若大将。翌朝のスポーツ報知も「泣けたぜ!! 原1号」と一面で報じた。しかし、ファームでの調整出場を拒否した原に対して、元西鉄の豊田泰光は自身の連載「オレが許さん!」の中で、厳しく批判している。

「6月9日、神宮のクラブハウスで(原は)長嶋監督と話し合った時も『イースタンの試合で調整するつもりはありません』と断ったらしい。入団以来、一度もファームの試合に出ていないというプライドがあるそうなんだけど、いつ引退してもおかしくない、なんていわれてた選手にプライドもへったくれもあるもんか」(週刊ベースボール1994年7月4日号)

 加えて、「これだけ独走していても優勝は? ぶっちぎり長嶋巨人にくすぶり続ける内紛の火ダネ」(週刊現代1994年7月2日号)でも、中畑清打撃コーチが「原は一度二軍で調整したほうがいい」と強く意見したことが報じられた。自身を取り巻く逆風の中で、復帰間もない広島戦で背番号8はキャリア初のセーフティーバントを決めて、「前から一度、やってみたかったんだよね。四番じゃ、こんなことできないから……」と六番や七番で試合に出続けながらも前を向いたが、チームの主役はすでに原や篠塚和典ではなく、20歳になったばかりの松井秀喜と第60代四番打者の落合博満だった。

エラーの夜…“15歳年下”ピッチャーに謝罪

 長嶋巨人は快調に白星を重ね、5月後半から6月前半にかけても第二次長嶋政権初の8連勝を記録。6月18日のヤクルト戦(東京ドーム)では落合が1回裏に先制タイムリーを放ち、斎藤雅樹がこの1点を守りきり164球の完封勝利を挙げた。斎藤は早くもシーズン5度目の完封で、4月22日の阪神戦から負け知らずの8連勝となる9勝目。この試合、9回二死一塁の場面で、マウンド上の背番号11に落合が歩み寄り、こう声を掛けている。

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