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藤井聡太14歳に敗れた羽生善治三冠「すごい人が現れた」…伝説の企画『炎の七番勝負』仕掛け人・野月浩貴八段が明かす舞台裏「もし全敗したら…」
text by
いしかわごうGo Ishikawa
photograph byJIJI PRESS
posted2023/12/07 11:00
史上最年少・14歳2カ月でのプロ入り(写真)後に藤井聡太四段が挑んだ『炎の七番勝負』。同企画をプロデュースした野月浩貴八段に話を聞いた
『炎の七番勝負』はいかにして生まれたのか
この対局が放送されたのは、2017年4月23日。だが、収録そのものは2月に行われている。要はタイムラグがあったのだが、放送時の藤井はデビュー戦からの連勝記録を13に伸ばしていたタイミングでもあった。偶然ではあるものの、藤井ブームの火がつき始めていた時期に、羽生に勝った放送も重なったというわけだ。
ここから藤井に関する報道はさらに過熱。羽生戦の勝利を境に将棋以外のメディアからの取材も殺到し始めたというのだから、この企画が「藤井フィーバー」の発火点になったと言っても過言ではないだろう。
では、この『炎の七番勝負』はいかにして生まれたのか。
2016年にインターネットテレビ事業に進出したAbemaTV(現ABEMA)は、翌年2月に将棋番組を配信する「ABEMA将棋チャンネル」の開設を予定していた。その目玉のひとつとして、16年の秋に中学生棋士となった藤井にスポットを当てるオリジナル企画が立ち上がったのだ。
将棋界に現れた逸材・藤井聡太を、どんな企画で見せていくべきか――プロデュースを担ったのは、現役棋士である野月浩貴八段と鈴木大介九段(当時八段)の2人である。今回はABEMA将棋チャンネルに立ち上げから携わっている野月八段に、知られざる“舞台裏”を聞かせてもらった。
野月は、企画が動き出した2016年当時をこう振り返る。
「日本将棋連盟の理事だった島さん(島朗九段)から『ABEMAで将棋チャンネルを立ち上げることになったので、そのスタッフとして関わってほしい』と頼まれました。すべて任せると言ってもらえたのはすごくありがたかったですね。僕自身、開局当初からABEMAをよく見ていたので、『将棋をやるならこんな感じかな』というイメージもありました。ABEMAの担当者とお会いしながら話を進めていき、その後に将棋連盟の担当部署ができて、コンセプトや見せ方について話し合いながら進んでいった、という流れですね」
ABEMA側の狙いの一つが、他のチャンネル視聴者のメイン層である若者が将棋を見るきっかけにしたい、というもの。そこで対局中継の解説者にも、ベテランよりも若手を積極的に起用するなどいくつかの方針を打ち出すことにしていた。