将棋PRESSBACK NUMBER

藤井聡太14歳に敗れた羽生善治三冠「すごい人が現れた」…伝説の企画『炎の七番勝負』仕掛け人・野月浩貴八段が明かす舞台裏「もし全敗したら…」

posted2023/12/07 11:00

 
藤井聡太14歳に敗れた羽生善治三冠「すごい人が現れた」…伝説の企画『炎の七番勝負』仕掛け人・野月浩貴八段が明かす舞台裏「もし全敗したら…」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

史上最年少・14歳2カ月でのプロ入り(写真)後に藤井聡太四段が挑んだ『炎の七番勝負』。同企画をプロデュースした野月浩貴八段に話を聞いた

text by

いしかわごう

いしかわごうGo Ishikawa

PROFILE

photograph by

JIJI PRESS

あの羽生善治が、当時14歳の藤井聡太に頭を垂れた。中学生棋士のプロデビューから数カ月、衝撃的な非公式戦の映像は、現在に至るまでの将棋人気の発火点となった。「もし藤井君が全敗したら、僕ら2人はクビだな」――ABEMAで放送された『藤井聡太四段 炎の七番勝負』をプロデュースした野月浩貴八段が、当時の舞台裏を明かした。(全3回の1回目/#2#3へ)※文中敬称略

“初対局”を終えた羽生善治は「すごい人が現れた」

 藤井聡太の名前が、初めて世に大きく出た時期を覚えているだろうか。

 一般的な認識としては、2016年10月、史上最年少となる14歳2カ月で棋士になったことが報道された時期になるだろう。その後、同年12月のデビュー戦で最年長棋士である加藤一二三九段との対局に勝利し、翌年4月には公式戦11連勝というプロデビュー戦からの新記録を樹立。ここから“藤井聡太狂騒曲”が幕を開けた。

 その後も藤井は勝ち続け、公式戦連勝記録が神谷広志八段の持つ「28」に近づく頃には、日本列島を巻き込むトピックスとなった。いわゆる「藤井フィーバー」である。毎日のように藤井の話題が報じられ、対局日ともなるとその周辺も騒がしくなる。ワイドショーによる報道が過熱していったのもこの時期だ。

 2017年6月には、増田康宏四段(当時)に勝利し29連勝を達成。デビューから無敗で歴代最多連勝記録を更新した。7月に佐々木勇気五段(当時)に初黒星を喫したことで連勝記録は止まったものの、「藤井フィーバー」はすっかり社会現象となっていた。

 当時の「藤井フィーバー」を振り返っていくと、その背景に“あるコンテンツ”の存在があったことに気づく。

 それが『藤井聡太四段 炎の七番勝負』だ。

 開局したばかりのABEMA将棋チャンネルが打ち出したオリジナル番組で、新人だった藤井聡太四段を起用した企画である。藤井が若手強豪からトップ棋士まで7人の先輩たちと平手で勝負を行うというもので、その最終局で当時三冠だった羽生善治に勝利したのだ。

 誰もが知る将棋界のスーパースターが、学生服の中学生を相手に投了する――その光景と「すごい人が現れたな、と思います」と対局後に語る羽生の映像は、ニュースで繰り返し放送された。プロデビュー間もない藤井の強さが本物であることをお茶の間に伝えるうえで、十分すぎるほどのインパクトを持った出来事だった。

【次ページ】 『炎の七番勝負』はいかにして生まれたのか

1 2 3 4 NEXT
#野月浩貴
#藤井聡太
#羽生善治
#増田康宏
#永瀬拓矢
#斎藤慎太郎
#中村太地
#深浦康市
#佐藤康光
#鈴木大介
#佐々木勇気
#加藤一二三

ゲームの前後の記事

ページトップ