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「履正社行くなら本気で甲子園目指そうと」史上初のセンバツ開催中止…連覇への挑戦権を奪われた履正社ナインはコロナ禍をどう乗り越えたか
posted2023/08/07 17:08
text by
釜谷一平Ippei Kamaya
photograph by
Hideki Sugiyama
「修学旅行、行けるんかな」
両井大貴がチームメイトとその話をしたのは、2020年2月のことだ。履正社高校の運動系クラブに所属する「Ⅲ類」の生徒たちは、例年2月に修学旅行を行っている。すでにプロ野球の各球団がキャンプインし、各社の報道から伝わる汗ばむ陽気が球春の到来を告げていた。
両井が当時を回想する。
「出発の数日前でした。行先の北海道でウイルスに感染した人が出たってニュースで聞いて。それが始まりでした」
修学旅行は滞りなく実施されたが、帰阪して暫くすると、「新型コロナウイルス感染症」をめぐる事態は想像をはるかに上回るスピードで深刻化していった。
練習は短縮され、やがて行われなくなった。選抜大会へ向け、例年なら3月頭に解禁される他校との練習試合も軒並み中止となった。得体の知れないウイルスが迫る不気味さに社会は動揺し、医療崩壊の危機が叫ばれると、今度は緊急事態宣言の発令に焦点が当てられていった。その流れの中で、当然、センバツ大会開催の可否も俎上に載せられるようになったのである。
池田とともに副キャプテンを務めていた外野手の両井は、他の誰よりもセンバツへの出場を切望する一人だった。中学時代、U-15侍ジャパンに選ばれる実績を残し、鳴り物入りで履正社に入学してきたものの、下級生の間はなかなか結果が残せず、メンバー外の日々が続いた。池田、小深田らが早くから頭角を表して大舞台で躍動する姿を傍目に、毎日堺市の自宅に帰った後も夜遅くまでバットを振り込んだ。
両井が回想する。
「小深田や池田は試合で活躍しているのに、自分は何をしてるんやろうって。こんなところで負けてられないと思うけど、結果が出ない。仲間との競争は本当にしんどかったです」
生前の父からかけられた言葉
両井の甲子園での活躍を夢見て、心待ちにしていたのが父の伸博さんだった。自宅でのバッティング練習にいつも付き合い、トスを上げてくれた。伸博さんは大阪の明星高校で主将・捕手を務めた元球児。1987年、立浪和義(現中日ドラゴンズ監督)らを擁して春夏連覇を達成したPL学園との対戦や、自身が青学大で経験した六大学野球の魅力などを両井に何度も語っていた。
その伸博さんが急逝したのは2018年、両井が高校1年生の冬だった。