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「履正社行くなら本気で甲子園目指そうと」史上初のセンバツ開催中止…連覇への挑戦権を奪われた履正社ナインはコロナ禍をどう乗り越えたか
text by
釜谷一平Ippei Kamaya
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/08/07 17:08
2019年夏の甲子園で初優勝した履正社。史上5校目の夏春連覇に向けて挑戦するはずだったが…
「ショックでしたね。なんせ甲子園しか目指してなかったですから。親も子も。ただ、まだ『夏はある』と思っていましたので、夏に結果を残すために、どんなサポートができるか。そういう風に切り替えるしかなかったです」
手袋をはめた手で12食分の料理を詰め込み…
他の父兄と同じく、大西家もまた、息子のサポートに日々全力を注いできた。寮のない履正社のような学校で甲子園を目指す場合、親に求められる覚悟の水準は高い。
ほとんどの生徒が自宅から学校に通うが、大西家は兵庫県加古川市にある。通学には片道1時間半以上かかること、さらに「Ⅲ類」の生徒にも学習習慣の定着を図るための早朝テスト受験が毎日義務づけられていたことから、大西と妻は、息子の蓮が野球に少しでも多くの時間を割くことができるよう、学校近くの賃貸アパートで“一人暮らし”ができる環境を整えた。
最大の心配は、息子の食事面だった。
「息子は体も大きくてよく食べるので、週末になると妻か僕が泊まり込みで行って、翌週の12~13食分のおかずを作って置いて帰りました。ご飯だけは息子が自分で炊くので、お弁当と晩御飯のおかずですね。レオパレスの息子のワンルームに、一般家庭用の大きな冷蔵庫を置いていたんですけど、いつもパンパンでした。毎週、毎週、妻は大変でしたよ。メニュー、栄養、息子の好きなもの。ずっと気をつかっていました。弁当箱とタッパを並べて、手袋をはめた手で料理を詰め込んでね。まるで弁当屋さんみたいでした」
大西は野球部保護者会の会長を務めた関係上、毎週末グラウンドに顔を出した。他の保護者や、監督・コーチ、生徒たちの間の調整役として、どうすればチーム運営が円滑に回るか、心を砕いてきた。自身は大手企業に勤務し、多忙な身である。
なぜそこまで。
大西は静かに笑顔を返してきた。
「だって本気で関わる方が面白いじゃないですか。その時しかない、一生に一度のことです。履正社行くなら本気で甲子園目指そうと。子どもらも一番真剣にやってますしね。真剣にやっていたら面白いです。野球人はそうじゃないですか」
2019年春のセンバツ、星稜との1回戦。奥川投手に手も足も出ず完封負けを喫したあの試合で、ベンチ入りしていた2年生の大西蓮は9回に左翼の守備についた。打席に立つ機会はなかったが、大西は「大会後、息子が変わった」という。
「自主性が出て、身の回りのことを何でも自分でするようになりましたし、感謝の気持ちを口にするようにもなりました。車でちょっと送ったりした時も、それまでは何も言わずに降りていたのが、『ありがとう』と言うようになったり。甲子園って、野球もそうですけど、人も成長させる場所ですよね。だからこそ、もう一回あの場所に立たせてあげたかった」
緊急事態宣言の中で
「夏に向けて切り替えよう」
センバツが消滅した後、誰もが心の拠り所としていた「夏」。しかしその命綱は、月を経るごとに藁の如く痩せ細っていった。