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「大勢の記者たちが一瞬で消えた…」立教大“まさかの”駅伝予選落ちで、私が見た残酷な現実…55年ぶり箱根駅伝から5カ月後の敗戦
posted2023/06/21 17:23
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Asahi Shimbun
競技を終えて結果発表を待つ間、メディアの期待は立教に集まっていた。
全日本大学駅伝の関東地区の予選会。各校8人の選手が走り、総合タイムで7番以内の学校が11月に行われる大会に駒を進める。
芝生の上に体育座りしている選手たちの前で、記者、そしてカメラを持った大人たちが待機している。
立教が初出場を決めれば、それは見出しになる。歓喜の瞬間を大人たちは待っている。
そして20時40分。結果が発表された。
城西大。大東大。東海大。東京国際大。
このあたりまでは予想が出来た。ここからがボーダーラインだ。
5位、東京農業大。3組目まで12位だった東農大が一気に逆転だ。それは立教にとって不吉なサインとなる。
6位、帝京大。残る椅子はあとひとつ。
7位は国士舘大だった。
その瞬間、立教の前からメディアが消えた。
立教は8位だった。国士舘との差は、わずか14秒30。ひとりあたり、2秒にも満たない差である。
「どこかに驕りがあったんじゃないか」
ひとりになったので、私は残ることに決めた。
上野裕一郎監督が学生に何を話すのか、聞いてみたかった。
立教は3組目を終えて6位だった。その時点で7位の東京国際大、8位の神奈川大、9位の法政、10位の明治との争いになるかと思われた。まさに“当落線上”だったが、結果的に留学生が力を発揮した国士舘、そして東農大に逆転されてしまった。ただし、最終組では中央学院大が失格となったため、立教は繰り上がっての8位という形になっていた。
20校が参加した箱根駅伝と比べ、全日本の場合はシード権を持つ8校に、予選通過の7校を加えた15校しか参加できない(関東の場合)。実は全日本出場は厳しい“関門”なのだ。
学生たちを前に、上野監督の話は10分近くに及んだ。