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〈森保ジャパンのキーマン〉新コーチ・名波浩のサッカー哲学の原点とは「ロッカールームで泣いている選手もいた」ジュビロ磐田が誇った史上最強時代の秘密

posted2023/06/16 11:03

 
〈森保ジャパンのキーマン〉新コーチ・名波浩のサッカー哲学の原点とは「ロッカールームで泣いている選手もいた」ジュビロ磐田が誇った史上最強時代の秘密<Number Web> photograph by JIJI PRESS

森保監督の右腕となる名波コーチ(右)

text by

北條聡

北條聡Satoshi Hojo

PROFILE

photograph by

JIJI PRESS

 6月15日のキリンチャレンジカップでエルサルバドル代表に6−0と快勝した日本代表。「第2次森保ジャパン」のキーマンとして腕をふるうのが、新コーチに就任した名波浩氏だ。天才にして理論派の名波氏のサッカー哲学の原点は、現役時代の最盛期を過ごしたジュビロ磐田の栄光の瞬間にこそある。中心人物とライバルの証言で、J史上最強をひも解く。<日本サッカーの理想形>名波浩 「泥臭さと華麗さと」(2020年6月4日発売、Number1004号掲載)を特別に無料公開します。※肩書はすべての当時のまま

2001 ジュビロ磐田
読者投票 第8位
選手投票 第9位

2002 ジュビロ磐田
選手投票 第1位
読者投票 第2位

 強い者が勝つわけではない。

 そこが勝負の世界の面白さであり、難しさでもあるのだろう。ただ、彼らにはそれを軽々と乗り越える何かがあった。

 強者にして勝者――それが、2002年のジュビロ磐田である。

 ことあるごとに「Jリーグ史上最強」と語り継がれてきた。強いどころではない。もう圧倒的に強かった。あれから20年近くが経ったいまも、その評価は少しも揺らいでいない。

「もう強いというイメージしかなかったですね。これは勝てないなと。個々のレベルは高いし、ミスもない。ボールを支配されてしまうから、こっちはカウンターで攻めるしかない。本当に隙がなかった」

ガンバの二川が感じた磐田の強さ

 2000年代後半からガンバ大阪の黄金期を支えた二川孝広は磐田の強さを肌で感じた一人だ。当時22歳。ボール扱いが巧みで、敵の嫌がる場所に潜り込み、決定的な仕事をこなす若手の有望株だった。

 その二川や遠藤保仁らを擁した2002年のG大阪は敵地の磐田戦で4-5という壮絶な撃ち合いを演じている。最後は延長Vゴールで敗れたものの、この年の磐田から4点も奪ったのはG大阪だけだ。

「4-2と2点差をつけたときは勝てそうかなと思ったんですけど、あっさり逆転されて……。磐田はどんどん人が攻め上がってくるし、仕掛けるタイミングもよかった。攻め手が多彩でしたね」

 若き日の二川はそんな磐田に強い憧れを抱いてもいた。

「僕も対戦したチームの中で当時の磐田が一番強かったと思います。ただし、ひいき目があるかもしれない。磐田みたいな攻撃サッカーをしてみたいと思っていたので。だから、うらやましかったですね」

 磐田と言えば、1990年代の後半から優美華麗な攻撃が看板だった。1998年には1試合平均得点3.14という驚異的な数字を叩き出している。この年も2.40と断トツの数字を残した。

【次ページ】 ジュビロには隙がなかった

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