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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「ええ投手になるで!」清原に絶賛された高卒ルーキーは、なぜたった“2勝”で引退したのか? 星野も落合もホレた天才右腕の悲劇と今
posted2024/04/23 11:20
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph by
KYODO
今から23年前の2001年9月、故・星野仙一監督の中日監督としてのラストイヤーのことだ。闘将がナゴヤドームの先発マウンドに送り出した高卒ルーキーの姿に、名古屋のファンは“未来のエース”の姿を予期した。
相対する巨人の強力打線に対して150キロを超えるストレートで真っ向勝負。異常なまでに打者の手元でノビるボールに、打ちそこなった高橋由伸が首をかしげ、松井秀喜は「スピードがある」と驚き、清原和博は「ええ投手になるで!」と絶賛した。
だが、その有り余る才能はプロ野球の世界で最後まで花開くことはなかった――。
「パパが取材を受けるの?」
中里篤史、41歳。度重なる怪我に泣いたその野球人生は時に「悲運の天才」や「ガラスのエース」と評され、引退から10年以上経った今なおプロ野球ファンに語り継がれている。当時を知るOBやファンたちは、談義の後にはこんな言葉を続けるのだ。
「もし、中里が怪我なく過ごしていたらどんな成績を残していたのか」
NPB通算34試合登板で、成績は2勝2敗。通算防御率は4.65。10試合以上の登板したのは2006年、2008年の2シーズンのみ。だが、その“一瞬の輝き”は後世にも鮮烈な印象を残した。石川歩(千葉ロッテ)、斉藤優汰(広島)ら多くの野球人が中里の投球に強い影響を受けたことも明かしている。
「取材を受けるのはもう何年ぶりですかね。娘に『明日は取材だから』と伝えると、『パパがー?』とゲラゲラ笑っていましたよ(笑)」
185cmの身長に、服の上からでも筋肉質だと分かる現役さながらの引き締まった体型は一目でアスリートであったことを想起させる。東京ドームで取材に応じた中里は、2011年に引退した後、巨人でスコアラーへと転身していた。