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“消えた天才”高校サッカー得点王…あの“静岡のスター”はなぜJリーグにいかなかった?「じつは名古屋と清水から“オファー”はありました」
posted2024/04/21 17:02
text by
栗原正夫Masao Kurihara
1987年度の高校サッカー選手権で7得点を挙げ、大会得点王になった平澤政輝(東海大一高)。華のあるプレーで、高校サッカー史に残る“スター選手”と記憶される。彼はなぜJリーガーの道を選ばず、表舞台から消えたのか? 元得点王のもとを訪ねた。【NumberWebインタビュー全3回の第2回/第1回、第3回へ】
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高校サッカー得点王、なぜJリーグにいかなかった?
全国高校サッカー選手権で1986年度優勝、1987年度準優勝と2大会連続で決勝に進出。黄と黒の縦縞のタイガージャージで旋風を巻き起こした東海大一(静岡、現・東海大静岡翔洋)。そのチームで同学年のMF澤登正朗とともに中心的な役割を果たし、1987年度には7ゴールを挙げて得点王に輝いたのがFW平澤政輝(54歳)だ。
1988年春の高校卒業後は名古屋グランパスの前身、トヨタ自動車サッカー部に入団。日本リーグ(JSL)でもプレーした。のちにトヨタのチームメート、高校時代の仲間やライバルの多くが1993年のJリーグ誕生とともにプロの道へ進んだ。しかし、平澤はトヨタの社員として会社に残り、現在もトヨタ自動車・東富士研究所にて社業に努めている。
平澤はなぜ、Jリーグにいかなかったのか。
「“会社に残って仕事を続ける”時代でした」
じつは高校卒業前、平澤のもとには関東の大学からも多くの誘いの声があり、当初は大学進学を視野に入れていた。だが、高3の高校選手権前には、すでにトヨタへ進むことが内定していた。